ワンダーウーマン

映画「ワンダーウーマン」を観た。ずいぶん長く待たされた気がする。それはアメリカ公開から日本公開までずいぶん間が空いたということでも個人的な事情で日本公開から1ヶ月観に行けなかったということでもない。アメコミ映画が大人の鑑賞に耐える大作映画として作られるようになったのは1978年の「スーパーマン」からだが、その間40年近く、女性の単独ヒーローというのは1984年の「スーパーガール」くらいしか作られていない。せいぜい「バットマン」のスピンオフでラジー賞4部門に輝いた「キャットウーマン」があるくらいだ。スーパーマンやバットマンやマーベル・ヒーローが次々映画化される中、なぜかワンダーウーマンの映画は1本も作られなかった。テレビ化の話もあったが立ち消えになった。詳しい事情は知らないが、現代にふさわしいワンダーウーマン像を作ることがそれだけ難しかったということなのかもしれない。
今回の「ワンダーウーマン」はその新しいワンダーウーマン像を作り出すことに加え、もう一つチャレンジングなことをしている。アメコミ映画史上多分初めて現実の戦争を舞台にした映画だということだ。1941年に始まった原作コミックスが第二次世界大戦を舞台にしているのに対し、この映画は第一次世界大戦を舞台にしている。観る前は不思議だったがその理由は観終わってなんとなく分かった気がする。
以下だいぶネタを割っているので未見の人は注意。ちなみに僕は傑作だと思った。80年近く前に描かれた言ってしまえば他愛のないアメリカンコミックスが、十分オリジナルを尊重しつつ現代にふさわしいエンターテイメントに生まれ変わっていることに感動する。







戦争というのは一人のスーパーヒーローになんとか出来るものではない。だからこそアメコミ映画はリアルな戦争を描くことを控えてきたのだろう。第一次世界大戦という100年前の現実の戦争を舞台にしてワンダーウーマンの活躍はどう描かれたか。
結論から言うと、この映画の中で、ワンダーウーマンは実は結果としてはほぼ誰一人救ってはいないのである。戦争を終わらせたのはもちろんワンダーウーマンではなく、ワンダーウーマンがしたことはスティーブ・トレバーを救ったこととヴェルドの村を解放したことだが、その結果は映画の中に描かれる通りだ。物語のメインになっている毒ガス攻撃を直接食い止めたのはスティーブとその仲間たちである。
ではこの決して短くはない映画はいったい何を描いたのだろうか。それは一言で言うと「幼い理想主義が成熟した理想主義へと成長していく過程」なのだろうと思う。

女だけの島セミッシラで育ったダイアナは戦いの神アレスを倒せば平和が訪れると教えられそれを信じている。素朴な悪の実在論者である。そのダイアナが現実の戦いの中に身を置き、戦争の悲惨さを知り、悪は個々の人間の中にあることを知る。ダイアナは人間に絶望し救う価値はないとまで思う。そこに現れるアレスは悪の根源でも戦争の黒幕でもない。このアレスは虚無である。愚かな人間に対する絶望から生まれるニヒリズムである。スティーブたちが現実の問題に立ち向かって戦っている間、ダイアナ一人は次元の違う戦いをしている。ダイアナは虚無と戦っていたのである。

この映画は成熟した理想主義者ワンダーウーマンが誕生するまでの物語である。スティーブ・トレバーは幼い理想主義者ダイアナを受け入れ、育て、最後の一押しをする。そこにちっぽけで儚い人間の生のきらめきがある。それに感動する。

第二次世界大戦を舞台にしなかったのは第二次大戦にはヒトラーという分かりやすい「悪者」がいて、それがこの映画のテーマと合わなかったからだろう。

もちろんこの映画は堅苦しい教訓映画ではなくエンターテイメントだ。アクションあり笑いありラブロマンスありの盛り沢山な映画である。ドクター・ポイズンや様々な出自を持つスティーブの仲間たちなど脇を固めるキャラクターも魅力的。エッタが原作通りなのもうれしい。しかし何より観終わった後に力強い希望を感じさせる映画である。待った甲斐があった。
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怪獣とフーパーの夜

京都みなみ会館でトビー・フーパー監督の追悼オールナイトをやるというので観に行った。
しかも上映スケジュールを観るとその前に怪獣映画2本やるというので老体に鞭打って怪獣+ホラー5本立てというハードな夜となったのだった。

怪獣映画2本立ては「フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ」と「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」。ともに1966年の東宝と大映の怪獣決戦映画である。実は「ガメラ対バルゴン」、観たことがなかった。なんとなくあらすじ知ってるので観たことあるような気がしていたが、どうも観ていない。ストーリーがわりと大人向けというのもなんとなく知っていた。確かに僕の知っている昭和のガメラとは一味違う。面白く観た。昭和ガメラのチープさとけっこう頑張っている特撮と大人の生々しい欲望のマッチングが他にない魅力。「サンダ対ガイラ」は何度か観ているが今回は中島春雄さん追悼も兼ねてしんみり観る。

さて今回本命のフーパー・ナイトだが、上映されたのは「マングラー」「悪魔の起源-ジン-」「悪魔のいけにえ」の3本。「悪魔のいけにえ」以外初見。
実はトビー・フーパー、そんなに観てるわけでも特別大好きというわけでもなかった。有名な「悪魔のいけにえ」は若い頃観てるが今ひとつ趣味に合わなかった。その後は「ポルターガイスト」とか「スペース・バンパイア」とか大味な大作映画を撮った人という印象だった。それが今回かなり覆った。

「マングラー」はスティーブン・キング原作。呪われた洗濯工場のプレス機という頓狂な設定のパワフルなホラー。このレトロなプレス機がよい。だいぶ頭のおかしい工場の支配人を「エルム街の悪夢」シリーズでフレディを演じたロバート・イングランドが喜々として演じている。小粒ながら小気味よく悪趣味な作品。

次の「悪魔の起源-ジン-」はフーパー監督の遺作。これ、けっこう評価が分かれる作品らしいのだが、僕はめちゃくちゃ面白かった。なんとアラブ首長国連邦の映画である。イスラム・オカルト映画という珍品。アラビア語と英語が半々くらい。役者もそちらの人のようだ。Jホラーの影響を受けたような、どちらかというとじわじわと怖い映画。アメリカで暮らしていた主人公夫婦が幼い子供を失い、アラブ首長国連邦に帰ってくる。妻の実家が近くで、夫婦は霧に覆われた新しい高級マンションに暮らすことになる。そこで次々に起こる変異。
大ネタはなぜかわりと序盤で割ってしまうのだが、それでもストーリーは緊迫感を失わない。音響と編集の巧みさがサスペンスを盛り上げ、派手な虐殺シーンなどはないのだが怖い。心理描写も巧みで特にヒロインの孤独と罪悪感が恐怖に拍車をかける。

「悪魔のいけにえ」と観比べると、一貫しているのは異質な存在が彼らなりの倫理や美学や哲学を持っていて、その存在との絶望的なディスコミュニケーションが恐怖を産んでいる、という点だろう。「悪魔の起源-ジン-」もジン側には一貫した理屈があってそれが主人公を追い詰めるのである。「悪魔のいけにえ」の殺人一家の家族愛とつながるところがある。ホラー全般にそれはあると言えばあるのだが、フーパー監督の向こう側の描き方にはやはり説得力がある。

最後に久しぶりに「悪魔のいけにえ」観たら、昔観たときよりはずいぶん楽しめた。そして「悪魔のいけにえ」観て迎える朝はなかなかによいものなのである。ああ、生きていてよかったと思える。こんな機会を作ってくれた京都みなみ会館に感謝。
改めてトビー・フーパー監督のご冥福をお祈りします。

火は火星の火 第4回 「スペースインベーダー」

火曜日に火星SFを観る「火は火星の火」第4回は1986年の「スペースインベーダー」。
先週の火曜日に観た「惑星アドベンチャー/スペース・モンスター襲来!」のリメイクであり、8月26日に亡くなったトビー・フーパーの監督作である。原題はオリジナルと同じ「INVADERS FROM MARS」。

びっくりするくらいオリジナルに忠実なリメイクだった。まさかこんなに原典通りのストーリーだとは思わなかった。デビッド少年が丘の向こうにUFOが降りてくるのを目撃する出だしから、ちょっと微妙なエンディングまで基本的なアウトラインは全くそのままなのだ。中盤の展開が少し違うけど、問題の丘の風景も忠実に再現しているし、首の後の傷も地下の宇宙人の基地も火星人の構成も火星人が地球に来た理由もラストの脱出劇もほとんどそのままである。ちなみに主役のデビッド少年を「パリ、テキサス」のハンター・カーソンくんが演じている。リンダ先生役のカレン・ブラックは実の母親。

オリジナル版でデビッド少年を演じたジミー・ハントは警察署長役でゲスト出演。デビッドが通う小学校はメンジース小学校で、メンジースというのはオリジナル版の監督の名前である。作り手たちのオリジナル版に対する並々ならぬ敬意が感じられる。そうか、「惑星アドベンチャー/スペース・モンスター襲来!」ってそんなにリスペクトされている作品なのか。てっきり宇宙人が親や隣人に入れ替わるというアイディアだけもらった別物なのかと思った。

脚本に「エイリアン」や「バタリアン」で有名なダン・オバノンが入っている他、特撮にジョン・ダイクストラ、スタン・ウィンストンが入っていてなかなかに豪華な布陣なのだが、全体としてはだいぶチープな仕上がり。たぶん公開当時観に行っていたらがっかりしてた。しかし今回はそれなりに楽しく観た。何よりオリジナル版を観てから観たのでフーパー監督はじめ作り手たちの工夫とこだわりが感じられて微笑ましい。テレビで「スペース・バンパイア」やっているのもご愛嬌。まあ傑作ではない。しかし嫌いにはなれない映画だ。基本この映画はジュブナイルなんだと思う。1986年には僕はとっくに成人していたが、小学生でこれ観てたらけっこうトラウマになったはず。両親が宇宙人に乗っ取られるという基本設定がすでに子どもには怖いし、リメイク版オリジナルのルイーズ・フレッチャー演じる生物の先生は強烈なインパクトだ。変な火星人とその奴隷ミュータントも楽しい。作り手の稚気をこそ愛すべき映画。

スパイダーマン:ホームカミング

観る前、「スパイダーマン:ホームカミング」には個人的にいくつか不安な要素があった。
一つはこの映画が「スパイダーマン」の3回目のリブートでありながらスパイダーマン誕生のエピソードを省いているらしいこと。「アメージング・スパイダーマン」の2作は、どう考えても無理あるやろというスパイダーマン誕生の秘密をちゃんと描こうとして伏線張り巡らしながら結局回収せずに打ち切りになってしまった。今でも実に残念なことだと思っている。せめてもう1作作ってほしかった。それで今回の映画化にちょっと複雑な気持ちを持っていたのだ。
もう一つは今回の目玉であるマーベル・シネマティック・ユニバースの扱いだ。個人的にはマーベル映画はヒーロー単発もののほうが好きで、アベンジャーズ映画にあまりいい印象がない。スパイダーマンはスパイダーマン単独でいいじゃん。アイアンマン出てこなくても。

で、それはいい方に裏切られた。いやあ、面白かった。けっこう長い映画(133分)なのだが長さを感じさせない。満足。
以下少しネタバレするかも。しないかも。

この映画はいろいろな要素を持った多面体のような映画なのだけど、まず第一に青春映画だ。今までで一番若いピーター・パーカー/スパイダーマンが今までで一番リアルなアメリカの高校生活を送っている。いやアメリカの高校知りませんけど、こうなんだろうな、という感じはびしびし伝わってくる。この映画の特徴の一つに人種的多様性に今まで以上に気を使っている、というところがあって、マドンナ役の女の子が黒人なのも新鮮。他にも非白人の生徒がたくさん出てくる。むしろ白人の生徒が少ない。それが自然な感じで描かれている。ところで10代なかばにしか見えないピーターを演じているトム・ホランドは1996年生まれ。20歳過ぎてるのかあ。びっくり。相棒のネッドもいい味。

ピーターはスターク社の研修生という扱い。スパイダースーツもスターク社製という設定。ここにも新しいスパイダーマンの21世紀的な感じがよく出ている。あまりにスーツの性能がいいので、どこまでがスパイダーマンの能力なのか分からないのが強いて言えば難点だが。しかしそれにもちゃんと納得の行くクライマックスが用意されている。

敵役はバルチャー、演じるのはマイケル・キートン。バットマン演ってバードマン演って、羽のある変なヤツの役は3度目だ。さすがに貫禄がある。それとこのバルチャー、根っからの悪役ではない。どちらかと言うと部下思いのいい人なのである。そのバルチャーが犯罪に走るのはアメリカの格差社会が背景にあってその辺もリアルなのだ。地に足の着いたスパイダーマン物語なのである。

実際アベンジャーズは話が大きくなりすぎた。大きくなりすぎてリアリティが乏しくなった。「スパイダーマン:ホームカミング」はその点等身大だ。そこがいい。その等身大の物語の中で主人公がちゃんと成長する。甘酸っぱさもほろ苦さもある。

でもそれだけだとスパイダーマンである意味がない。そういうリアルな背景や成長物語を持ちながらも、この映画はきわめて「マンガ的」である。相当むちゃなことをユーモアにくるんで表現している。その辺の呼吸も見事なものだ。なんか最近のアメコミ映画は重いのが多くて、それはそれで面白いのもあるんだけど、やっぱりスパイダーマンはこうじゃないと。スパイダーマン誕生のエピソードを欠いていてもそこは全然気にならなかった。問題なし。アベンジャーズとの関わりについてもこの映画は見事な着地点を見せる。

この色んな要素を詰め込みながら絶妙にバランスよくユーモアにあふれた映画を撮ったジョン・ワッツという監督は1981年生まれの新鋭。こういう人がこういう大作を任されてここまで完璧にこなしちゃうのはすごいね。続きも楽しみだ。

火は火星の火 第3回 「惑星アドベンチャー/スペース・モンスター襲来!」

久しぶりに火曜日に火星SFを観る「火は火星の火」の第3回である。今日はたまたま同じ名前のミサイルの話題が列島を席巻したがそれとは何の関係もない。念のため。

どちらかというと26日に亡くなったトビー・フーパー監督に関係がある。トビー・フーパー監督に「スペースインベーダー」という適当な邦題をつけられた映画(未見)があって、それが今日観た「惑星アドベンチャー/スペース・モンスター襲来!」というやはり適当な邦題をつけられた映画のリメイクなのである。原題はどちらも「INVADERS FROM MARS」。

1953年のアメリカ映画。侵略ものとしては初のカラー映画なのだそうだ。
技術者を父に持つデヴィッドは天体好きの少年。ある明け方、望遠鏡で空飛ぶ円盤が丘の向こうに着陸するのを目撃する。様子を見に行った父親は父親は地中に飲まれ、全く別人のようになって帰ってくる。首の後には何か手術の痕が。

周りの人間がどんどん宇宙人に捕まって手先にされてしまう、という趣向の、作りようによってはホラーSFになりそうな題材。アブダクションものと言っていいのか。実際序盤はそうなのだが、女性医師ブレイク博士や天文学者ケルストン博士という理解者が現れて、わりと早い段階で宇宙人の侵略であることが軍部まで伝わってしまう。そんなに簡単に信じていいのかとも思うが、そこはジュブナイルSF映画だし言うのも野暮か。宇宙人の目的は地球人が建造しているロケットを妨害することにあるらしい。なにぶん50年代映画なので冷戦の反映は当然のようにある。

宇宙人に操られている人間と地球人との攻防なので、途中まではSFらしい絵はあまり出てこない。誰が宇宙人の手先なのかは分かっているのでその辺のサスペンスに欠けるのは残念。後半は地下の宇宙人の本拠地に潜入しての攻防。ここでやっと宇宙人が出てくる。まず出てくるのが操られているミュータント。図体がでかいが頭はよくなさそうだ。親玉は胸像みたいな手足のない(触手みたいなのは生えている)頭でっかちの宇宙人。頭はいいらしいが台詞がないので今ひとつ伝わらない。しかもどうも一人で来ているらしい。地下のセットはそれなりに趣があるがやはり特撮らしい特撮はあまり出てこない。ところでこの宇宙人、天文学者のケルストンは火星から来たのだろうと推測しているが、映画の中では今ひとつはっきりしない。タイトルが「火星からの侵略者」でなければ火星SFと言っていいのか迷うところだ。

ラストは夢オチのようなそうではないような微妙な終わり方。それなりに楽しく観たが特別出来のいい映画でもない。1979年になって日本で初公開されたそうだが記憶にないな。これをトビー・フーパー監督は1986年にリメイクしているのだ。どんな味付けをしているのか楽しみだ。近い火曜日に観ます。

ところでトビー・フーパー監督追悼で昨日何回か観ている「スペース・バンパイア」をまた観たのだけど、記憶よりずっと面白かった。「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」とちょっと似ているがクライマックスの面白さはこっちの方が断然上。ラストいいよなあ。
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