スパイダーマン:ホームカミング

観る前、「スパイダーマン:ホームカミング」には個人的にいくつか不安な要素があった。
一つはこの映画が「スパイダーマン」の3回目のリブートでありながらスパイダーマン誕生のエピソードを省いているらしいこと。「アメージング・スパイダーマン」の2作は、どう考えても無理あるやろというスパイダーマン誕生の秘密をちゃんと描こうとして伏線張り巡らしながら結局回収せずに打ち切りになってしまった。今でも実に残念なことだと思っている。せめてもう1作作ってほしかった。それで今回の映画化にちょっと複雑な気持ちを持っていたのだ。
もう一つは今回の目玉であるマーベル・シネマティック・ユニバースの扱いだ。個人的にはマーベル映画はヒーロー単発もののほうが好きで、アベンジャーズ映画にあまりいい印象がない。スパイダーマンはスパイダーマン単独でいいじゃん。アイアンマン出てこなくても。

で、それはいい方に裏切られた。いやあ、面白かった。けっこう長い映画(133分)なのだが長さを感じさせない。満足。
以下少しネタバレするかも。しないかも。

この映画はいろいろな要素を持った多面体のような映画なのだけど、まず第一に青春映画だ。今までで一番若いピーター・パーカー/スパイダーマンが今までで一番リアルなアメリカの高校生活を送っている。いやアメリカの高校知りませんけど、こうなんだろうな、という感じはびしびし伝わってくる。この映画の特徴の一つに人種的多様性に今まで以上に気を使っている、というところがあって、マドンナ役の女の子が黒人なのも新鮮。他にも非白人の生徒がたくさん出てくる。むしろ白人の生徒が少ない。それが自然な感じで描かれている。ところで10代なかばにしか見えないピーターを演じているトム・ホランドは1996年生まれ。20歳過ぎてるのかあ。びっくり。相棒のネッドもいい味。

ピーターはスターク社の研修生という扱い。スパイダースーツもスターク社製という設定。ここにも新しいスパイダーマンの21世紀的な感じがよく出ている。あまりにスーツの性能がいいので、どこまでがスパイダーマンの能力なのか分からないのが強いて言えば難点だが。しかしそれにもちゃんと納得の行くクライマックスが用意されている。

敵役はバルチャー、演じるのはマイケル・キートン。バットマン演ってバードマン演って、羽のある変なヤツの役は3度目だ。さすがに貫禄がある。それとこのバルチャー、根っからの悪役ではない。どちらかと言うと部下思いのいい人なのである。そのバルチャーが犯罪に走るのはアメリカの格差社会が背景にあってその辺もリアルなのだ。地に足の着いたスパイダーマン物語なのである。

実際アベンジャーズは話が大きくなりすぎた。大きくなりすぎてリアリティが乏しくなった。「スパイダーマン:ホームカミング」はその点等身大だ。そこがいい。その等身大の物語の中で主人公がちゃんと成長する。甘酸っぱさもほろ苦さもある。

でもそれだけだとスパイダーマンである意味がない。そういうリアルな背景や成長物語を持ちながらも、この映画はきわめて「マンガ的」である。相当むちゃなことをユーモアにくるんで表現している。その辺の呼吸も見事なものだ。なんか最近のアメコミ映画は重いのが多くて、それはそれで面白いのもあるんだけど、やっぱりスパイダーマンはこうじゃないと。スパイダーマン誕生のエピソードを欠いていてもそこは全然気にならなかった。問題なし。アベンジャーズとの関わりについてもこの映画は見事な着地点を見せる。

この色んな要素を詰め込みながら絶妙にバランスよくユーモアにあふれた映画を撮ったジョン・ワッツという監督は1981年生まれの新鋭。こういう人がこういう大作を任されてここまで完璧にこなしちゃうのはすごいね。続きも楽しみだ。
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ザ・マミー/呪われた砂漠の女王

先日「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」と「スパイダーマン:ホームカミング」をはしごした。

「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」はユニバーサルが往年のユニバーサル・ホラーの世界観をリブートする「ダーク・ユニバース」シリーズの第1作。最近流行りのなんとかユニバースの新しいシリーズだが、「魔人ドラキュラ」や「フランケンシュタインの花嫁」がリブートされるなら観ない訳にはいかないのだ。
しかし実は僕はミイラものというのはほとんど観ていなかった。「ザ・マミー」は原題が「THE MUMMY」で、このタイトルのホラー映画としては以下のものがある。
 「ミイラ再生」(1932年) 
 「ミイラの幽霊」(1959年)
 「ハムナプトラ/失われた砂漠の都」(1999年)
 「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」(2017年)
要するに「ミイラ再生」の4回目のリブートということらしい。これ以外にもミイラ映画はたくさんあるのだが、とりあえず日本でDVD化されていない英国ハマー・プロダクションの「ミイラの幽霊」以外の2本「ミイラ再生」と「ハムナプトラ/失われた砂漠の都」を観てから挑んだ。そもそも「ハムナプトラ」が「ミイラ再生」のリメイクだということも知らなかったのだが、続けて観ると「ハムナプトラ/失われた砂漠の都」というのは意外なくらいオリジナルに忠実はリブートなのである。地味なオリジナルをきちんと踏襲しながら盛れるだけ盛ったアクション大作に仕上げたスティーブン・ソマーズ監督の力量は大したものだと思う。さて最新のミイラ映画はどうか。
結論から言うと「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」はオリジナルの「ミイラ再生」とは全く別物である。復活するミイラが男性から女性に変わっているだけではなく、生きながら埋葬された呪われたミイラが復活する、という基本設定以外どっこも似てない。
こっから後は少しネタバレしてます。


まず舞台が違う。「ミイラ再生」も「ハムナプトラ」も舞台は当然のことながらエジプトである。ところが「ザ・マミー」にはほとんどエジプトが出てこない。ミイラが発掘されるのはなぜかイラクで、そこから舞台はすぐにイギリスに移る。エジプトは回想シーンとラストだけ。ちょっとびっくりした。
それでも途中まではけっこう面白く観た。イギリスを舞台にすることで昔のハマー・プロダクションの怪奇映画みたいな雰囲気が出ている。トム・クルーズを主人公にすることでちょっとした毒のあるユーモアの感じも出ている。殺しちゃった友人が幽霊になって出てくるのは「狼男アメリカン」オマージュかな。それなりに見せ場もある。飛行機が墜落するシーンで中が無重力になるシーンがよく撮れていて、どうやって撮ったんだ、と思ったら本当に自由落下する飛行機の中で撮ったらしい。すげえな。個人的には烏とかネズミとかの小動物が群れになって登場するシーンが好き。ネズミと言えば「ウィラード」だが、個人的には新旧2本の「ノスフェラトゥ」が思い起こされる。ミイラというのは蘇った死体、という点で吸血鬼ともゾンビとも共通点があるのだけど、吸血鬼やゾンビを思わせるシーンにもいいシーンがある。作り手に昔ながらの怪奇映画に対する愛情があることは分かる。

こういうなんとかユニバースものには秘密組織がつきものである。モンスターバースのモナークみたいなやつだ。この世界ではプロディジウムというちょっと覚えにく名前の組織だ。この組織のトップがラッセル・クロウ演じるジキル博士。たぶんこの世界にはロバート・ルイス・スティーヴンソンという作家はいなくて「ジキル博士とハイド氏」という小説もなくて、このジキル博士はダーク・ユニバースの住人なのだろうと思うのだが、ユニバーサルの「ジキル博士とハイド氏」なんてあったっけ?でまあそれはいいのだがこの組織が出てきた当たりから残念ながら映画はなぜか失速する。

うーん。なんでこうなったのかなあ。クライマックスがこんな地味な映画久しぶりに観たよ。ドラマ的にも弱いし絵的にも地味。ソフィア・ブテラ演じるアマネットというキャラクターにはそれなりに魅力があるし、いったんアマネットが地上に出てくる辺りの絵にはいいものもあるのに、最後結局イギリスの地下でこじんまりと話は収束する。ちょっとびっくるするくらいラストはあっけない。エンディングも取ってつけたようだ。

トム・クルーズ演じるニック・モートンはこれで終わりということはないだろう。今後どう関わってくるのか、気になるところだ。「フランケンシュタインの花嫁」と「透明人間」が次に控えているらしいのだが、トム、出てくるのかなあ。このシリーズは続いてくれないと困るのだ。なんといっても本命は21世紀版「魔人ドラキュラ」なのだ。それまではもってもらわないと。いろいろ不満はあるが全面的に支持するから続けてください。お願いします。

「スパイダーマン:ホームカミング」についてはまたのちほど。

キングコング/髑髏島の巨神

「キングコング/髑髏島の巨神」を観た。以下ネタバレあり。このあと読まない人のために言っておくと、例によってエンドロールのあとにけっこう重要なシーンがあるので最後まで席立たないように。


力技である。キングコングの4回目のリメイクではあるが、今回はタイトル通り髑髏島の話がメインで、後半のニューヨークのシーンはない。怪獣島でのサバイバルがメイン。構造としてはジュラシックパーク・シリーズの方が近い。しかしここは恐竜ではなく怪獣であることに意味がある。キングコング以外にもいろいろ出てくるが見事に統一感がない。オリジナルはコング以外は恐竜がメインだったが、たぶんジュラシックパーク・シリーズやピーター・ジャクソン版とかぶることを避けたのだろう、トリケラトプスらしい骸骨はちらっと映るけど恐竜は出てこない。わずかに翼竜(もちろん恐竜ではない)の仲間らしいのが出てくるだけだ。実際にいる動物を巨大化したものが多いけど、それも哺乳類、節足動物、軟体動物とばらばら。そしてキングコングと敵対する髑髏クローラーはモデルがよくわからない、怪獣としか言いようがない怪獣。パンフを見るとオリジナル版に出てきた「後足のないトカゲ」がモデルらしい。ああ、いたなそんなの。マニアックなとこついてくるなあ。デザイン的にはやや小物感があるのが残念。最後の大きいのだけでももう少しなんとかならなかったか。

時代は第二次大戦が終わる直前の1944年で始まり、ベトナム戦争終了直後の1973年に飛ぶ。髑髏島に怪獣がたくさんいる理由については放射能とか軍の秘密研究とかそういう小手先の人為的なものは出てこない。その代わりに、今時それ出すか?と思うような大技を出してくる。え?この設定このあとのシリーズでも使うの?

コングのデザインはゴリラと猿人の中間くらい。個人的にはキングコングがゴリラのわけないと思っているので(南太平洋だよ?)、もろゴリラだったジャクソン版より納得できる。

今回おっと思ったのは二点。まずコングに親がいたという当たり前の事実をちゃんと描いてるところ。コングは長くこの島に生息していた種の最後の生き残りなのである。コングの両親の巨大な骸骨も絵としていなかなかかっこいい。もう一つはコングが道具を使うところで、岩とか木とか鎖の付いたスクリューとかあるものをかなり利用している。木は小枝を落として使っているので道具の加工もしている。そこそこ頭のいいコングである。

ユーモアがあるテンポのいい演出がこの映画の持ち味で、怪獣ももったいぶらずに最初っから出てきて気持ちいい。話が少々雑なのもあまり気にならない。人間も容赦なく食べられたり踏みつけられたりする。怪獣映画はそうでないと。恋愛話が全く出てこないのもいい。なぜかやっぱりヒロインはコングに気に入られるんだけどね。そこはお約束だからなあ。

このあとアメリカ版は「ゴジラ2」を挟んで「ゴジラ対コング」につながるらしい。楽しみなことだ。日本も出し惜しみせず「シン・ゴジラ」の続きを作るべきだと思う。怪獣映画はシリーズ化してなんぼだと思う。

マグニフィセント・セブン

「マグニフィセント・セブン」を観た。
「七人の侍」と「荒野の七人」をベースに現代的な視点も入れた西部劇。

一見して分かるのは人種的多様性をかなり意識していることで、リーダーのチザムがアフリカン・アメリカン、他に東洋人、ネイティブ・アメリカン、メキシコ人がいて、白人も一人はフランス系、もう一人がアイルランド系、もう一人のっジャック・ホーンだけはっきり分からない。
時代を反映した設定と言えそうだが、やや無理もある。特にコマンチ族のレッド・ハーベストが仲間に加わる理由がよく分からない。ネイティブ・アメリカンをたくさん殺しているジャック・ホーンに対してどういう感情を持っているのかも描かれず、せっかくの設定がかなり雑に扱われている感は否めない。

僕なら女性ガンマン入れるよなあ、と予告編見て思ってたんだけど、その部分のフォローはちゃんとなされている。ヒロインのエマが最初に出てきた時は地味な人妻なのが映画の進行とともに変わっていくところは見どころの一つ。すごく美人というわけではないのもいいし、エマと七人の誰かの恋愛には全く発展しないのもいい。そういう要素をこの映画は全く入れていない。でも七人に女性入れるのはやっぱりありだったと思うけどな。

この映画の最大の萌えポイントはイ・ビョンホン演じるビリー・ロックスとイーサン・ホーク演じるグッドナイト・ロビショーの関係性だろう。ちょっと「ローグ・ワン」のチアルートとベイズの関係を思い出した。東洋人は最近は萌え要員なのか。イ・ビョンホンは本当にかっこよすぎるくらいかっこいいし、イーサン・ホークの戦争トラウマを抱えた元狙撃兵もいい。そしてその二人が互いに信頼しあっている関係性は腐男子ならずともぐっとくるものがある。ていうか狙ってるだろこれ。

実は「七人の侍」は何回か観てるけど「荒野の七人」をきちんと観たことがない。「七人の侍」「荒野の七人」「マグニフィセント・セブン」と続けて観たらまた違った見え方をするのかもしれない。あ、「宇宙の七人」ってのもあったね。

ワイルド わたしの中の獣

もう一本の「ワイルド わたしの中の獣」はよりストレートに現実の社会の中で満たされない欲望に身を委ねる女性を肯定的に描いている。主人公のアニアはアパレル系の職場で働く目立たない女性だ。そのアニアが公園で野生の狼と出会うことから野生を取り戻していく、と書いてしまうとなんだが通俗的な感じだが、この映画はその過程を現実と幻想を織り交ぜながら丹念に積み重ねていくところに面白みがある。

最初はスーパーで買った生肉を公園に置いてくることから始めて、少しずつ彼女は狼に深入りしていく。彼女は結局その狼を捕獲して自室に閉じ込めるのだが、その辺りから物語は現実なのか幻想なのか分からない感じになっていく。決定的に彼女と狼の関係性が変わるのは、彼女が覗き穴を開けて覗いていた部屋の壁を狼が体当りして倒してしまうところからだ。これは現実にはありえないだろう、いくら狼でもマンションの壁は壊せない。ここは「壁を壊す」ということの象徴的な意味が現実を凌駕しているのである。それまで狼に対してどこか人間として自分を上位に置いていたヒロインはここで自分の無力さを自覚する。その後彼女はダストシュートから逃げ出すのだが、その落ちていく感覚がここではまさに「人間を下りる」という表現になっている。そして事実ここから彼女と狼の関係は一変するのである。

彼女が勤める職場が人間が人間であることにとって重要な「衣服」を扱う職場であることには意味があるだろう。「衣服を脱ぐ」ということの象徴的な意味がそこにはある。(「シークレット・オブ・モンスター」でも主人公が反抗の意志を「裸」で表すところがある。)人間的な虚飾を剥ぎ取っていくことがエロスと結びついていく。

もちろん現実には人間はそうそう簡単に人間を下りることは出来ないし、この映画のラストもちょっと非現実的ではある。しかし、たまには人間をやめたい、と感じる人間がいるかぎり、この種のファンタジーはなくならないのだろう。ちなみにこの映画に登場する狼はすべて本物である。
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