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キングコング/髑髏島の巨神

「キングコング/髑髏島の巨神」を観た。以下ネタバレあり。このあと読まない人のために言っておくと、例によってエンドロールのあとにけっこう重要なシーンがあるので最後まで席立たないように。


力技である。キングコングの4回目のリメイクではあるが、今回はタイトル通り髑髏島の話がメインで、後半のニューヨークのシーンはない。怪獣島でのサバイバルがメイン。構造としてはジュラシックパーク・シリーズの方が近い。しかしここは恐竜ではなく怪獣であることに意味がある。キングコング以外にもいろいろ出てくるが見事に統一感がない。オリジナルはコング以外は恐竜がメインだったが、たぶんジュラシックパーク・シリーズやピーター・ジャクソン版とかぶることを避けたのだろう、トリケラトプスらしい骸骨はちらっと映るけど恐竜は出てこない。わずかに翼竜(もちろん恐竜ではない)の仲間らしいのが出てくるだけだ。実際にいる動物を巨大化したものが多いけど、それも哺乳類、節足動物、軟体動物とばらばら。そしてキングコングと敵対する髑髏クローラーはモデルがよくわからない、怪獣としか言いようがない怪獣。パンフを見るとオリジナル版に出てきた「後足のないトカゲ」がモデルらしい。ああ、いたなそんなの。マニアックなとこついてくるなあ。デザイン的にはやや小物感があるのが残念。最後の大きいのだけでももう少しなんとかならなかったか。

時代は第二次大戦が終わる直前の1944年で始まり、ベトナム戦争終了直後の1973年に飛ぶ。髑髏島に怪獣がたくさんいる理由については放射能とか軍の秘密研究とかそういう小手先の人為的なものは出てこない。その代わりに、今時それ出すか?と思うような大技を出してくる。え?この設定このあとのシリーズでも使うの?

コングのデザインはゴリラと猿人の中間くらい。個人的にはキングコングがゴリラのわけないと思っているので(南太平洋だよ?)、もろゴリラだったジャクソン版より納得できる。

今回おっと思ったのは二点。まずコングに親がいたという当たり前の事実をちゃんと描いてるところ。コングは長くこの島に生息していた種の最後の生き残りなのである。コングの両親の巨大な骸骨も絵としていなかなかかっこいい。もう一つはコングが道具を使うところで、岩とか木とか鎖の付いたスクリューとかあるものをかなり利用している。木は小枝を落として使っているので道具の加工もしている。そこそこ頭のいいコングである。

ユーモアがあるテンポのいい演出がこの映画の持ち味で、怪獣ももったいぶらずに最初っから出てきて気持ちいい。話が少々雑なのもあまり気にならない。人間も容赦なく食べられたり踏みつけられたりする。怪獣映画はそうでないと。恋愛話が全く出てこないのもいい。なぜかやっぱりヒロインはコングに気に入られるんだけどね。そこはお約束だからなあ。

このあとアメリカ版は「ゴジラ2」を挟んで「ゴジラ対コング」につながるらしい。楽しみなことだ。日本も出し惜しみせず「シン・ゴジラ」の続きを作るべきだと思う。怪獣映画はシリーズ化してなんぼだと思う。
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マグニフィセント・セブン

「マグニフィセント・セブン」を観た。
「七人の侍」と「荒野の七人」をベースに現代的な視点も入れた西部劇。

一見して分かるのは人種的多様性をかなり意識していることで、リーダーのチザムがアフリカン・アメリカン、他に東洋人、ネイティブ・アメリカン、メキシコ人がいて、白人も一人はフランス系、もう一人がアイルランド系、もう一人のっジャック・ホーンだけはっきり分からない。
時代を反映した設定と言えそうだが、やや無理もある。特にコマンチ族のレッド・ハーベストが仲間に加わる理由がよく分からない。ネイティブ・アメリカンをたくさん殺しているジャック・ホーンに対してどういう感情を持っているのかも描かれず、せっかくの設定がかなり雑に扱われている感は否めない。

僕なら女性ガンマン入れるよなあ、と予告編見て思ってたんだけど、その部分のフォローはちゃんとなされている。ヒロインのエマが最初に出てきた時は地味な人妻なのが映画の進行とともに変わっていくところは見どころの一つ。すごく美人というわけではないのもいいし、エマと七人の誰かの恋愛には全く発展しないのもいい。そういう要素をこの映画は全く入れていない。でも七人に女性入れるのはやっぱりありだったと思うけどな。

この映画の最大の萌えポイントはイ・ビョンホン演じるビリー・ロックスとイーサン・ホーク演じるグッドナイト・ロビショーの関係性だろう。ちょっと「ローグ・ワン」のチアルートとベイズの関係を思い出した。東洋人は最近は萌え要員なのか。イ・ビョンホンは本当にかっこよすぎるくらいかっこいいし、イーサン・ホークの戦争トラウマを抱えた元狙撃兵もいい。そしてその二人が互いに信頼しあっている関係性は腐男子ならずともぐっとくるものがある。ていうか狙ってるだろこれ。

実は「七人の侍」は何回か観てるけど「荒野の七人」をきちんと観たことがない。「七人の侍」「荒野の七人」「マグニフィセント・セブン」と続けて観たらまた違った見え方をするのかもしれない。あ、「宇宙の七人」ってのもあったね。

ワイルド わたしの中の獣

もう一本の「ワイルド わたしの中の獣」はよりストレートに現実の社会の中で満たされない欲望に身を委ねる女性を肯定的に描いている。主人公のアニアはアパレル系の職場で働く目立たない女性だ。そのアニアが公園で野生の狼と出会うことから野生を取り戻していく、と書いてしまうとなんだが通俗的な感じだが、この映画はその過程を現実と幻想を織り交ぜながら丹念に積み重ねていくところに面白みがある。

最初はスーパーで買った生肉を公園に置いてくることから始めて、少しずつ彼女は狼に深入りしていく。彼女は結局その狼を捕獲して自室に閉じ込めるのだが、その辺りから物語は現実なのか幻想なのか分からない感じになっていく。決定的に彼女と狼の関係性が変わるのは、彼女が覗き穴を開けて覗いていた部屋の壁を狼が体当りして倒してしまうところからだ。これは現実にはありえないだろう、いくら狼でもマンションの壁は壊せない。ここは「壁を壊す」ということの象徴的な意味が現実を凌駕しているのである。それまで狼に対してどこか人間として自分を上位に置いていたヒロインはここで自分の無力さを自覚する。その後彼女はダストシュートから逃げ出すのだが、その落ちていく感覚がここではまさに「人間を下りる」という表現になっている。そして事実ここから彼女と狼の関係は一変するのである。

彼女が勤める職場が人間が人間であることにとって重要な「衣服」を扱う職場であることには意味があるだろう。「衣服を脱ぐ」ということの象徴的な意味がそこにはある。(「シークレット・オブ・モンスター」でも主人公が反抗の意志を「裸」で表すところがある。)人間的な虚飾を剥ぎ取っていくことがエロスと結びついていく。

もちろん現実には人間はそうそう簡単に人間を下りることは出来ないし、この映画のラストもちょっと非現実的ではある。しかし、たまには人間をやめたい、と感じる人間がいるかぎり、この種のファンタジーはなくならないのだろう。ちなみにこの映画に登場する狼はすべて本物である。

シークレット・オブ・モンスター

僕らはいちおう人間なので普段の生活の中では周りと合わせて人間として、あるいは少なくとも人間のふりをして生活している。しかし時にはそれが窮屈になったりそこから逸脱したくなったりすることもある。

人が人間を逸脱する映画をたまたま2本続けて観た。京都みなみ会館で上映中の「シークレット・オブ・モンスター」と「ワイルド わたしの中の獣」である。

「シークレット・オブ・モンスター」は第一次世界大戦終了直後のフランスを舞台に、後に独裁者となるある架空の人物の少年期を描いている。原題はストレートに「THE CHILDHOOD OF A LEADER」。
少年の父は米ウィルソン大統領のもと第一次世界大戦の戦後処理のためにフランスに来ている国務次官補。母親はドイツ人を父に持ち、4ヶ国語を話す才媛。厳格な教育方針のもとに育てられている12歳の美少年プレスコットがこの映画の主人公だ。「ビョルン・アンドレセンを彷彿させる美少年」とパンフにあるがその少女と見紛う美少年ぶりに加え、強烈な自尊心を持った怪物的な子供を見事に演じて強い印象を残す。

物語は3つの章と終章に分けられているが、その3つの章はそれぞれ「第一の癇癪(TANTRUM)」「第二の癇癪」「第三の癇癪」と名付けられている。少年は彼にとって耐え難い状況に感情を迸らせる。普通は子供は癇癪を起こしながらもそこで社会のルールを学び我慢することを覚え大人になっていくものだが、この物語の主人公はそうはならない。女の子に間違えられることやお気に入りの家政婦が解雇されることが我慢ならないというだけではない。少年にとって少年を取り巻く世界そのものが耐え難い。偽善に満ちた大人たちの社会からキリスト教的文明まで、少年は馴染むことなく孤独に世界に対峙し続ける。

この映画の架空の独裁者はヒトラーやムッソリーニやスターリンをモデルにしているだろう。しかしこの映画は独裁者を糾弾する映画ではない。むしろこの孤独な少年に凡人である我々はどこか魅力を感じざるを得ない。何がこの少年を独裁者にしたのかは映画の中ではっきりと描かれるわけではない。しかしこの世界という鋳型に合わない魂があって、そこに人が魅力を感じるとするなら、それが現実の独裁者が支持を集める一つの理由なのかもしれない。

映像も音楽も重厚で素晴らしい。監督のブラディ・コーベットはこれが長編初監督作だそうだ。

ローグ・ワン

「ローグ・ワン」観た。

いろいろと不満はある。
まず帝国のセキュリティの甘さは伝統とは言えこれはさすがにザルすぎないか。これまでのスター・ウォーズでは、フォースを使ったと言えばそれでまあ納得せざるを得なかったわけだが、今回はそれもほとんどない。しかもストーリーは今までになくシリアスなのである。

そもそもゲイレンのホログラムメッセージが無茶振りである。デススターにトラップを仕掛けたのはいい。しかしそのためにはデススターの設計図が必要で、それを敵の本拠地の中枢に行って取ってこい、というのはあんまりだろう。トラップがあろうがなかろうがデススターの設計図は最重要軍事機密である。そう簡単に盗めるなら苦労はない。開発者なんだから、ホログラムに添付ファイルで設計図くらい付けてくれよ、という話でもある。ボーディーが命をかけて持ってきたわりに情報量少なすぎだろう。せめてデータのコピーをもう少し手に入れやすい場所に移動させるとか、何かしてくれてもいいんじゃないか。

で、盗んだ貨物船でならず者集団がノープランで敵の中枢に乗り込んで盗んでこれちゃうのだから、いったいどういうことなのか。

百歩譲ってスカリフまでは入り込めたとしても、貨物船が発着するような民間エリアから軍の最高機密施設であるシタデルタワーに入るにはそれ相応のチェックがあってしかるべきだろう。シタデルタワーにはセキュリティの概念がないのか。ボーディーは裏切り者として顔割れてるんじゃないのか。データにアクセスするのにパスワードはいらないのか。「マスター・スイッチ」はなんであんな屋外にむき出しであるのか。最悪シタデルタワーの屋上のアンテナ使おうとしていることが分かった段階で下で電源切ったらいいだけのことじゃないのか。

いろいろ突っ込みどころが多すぎてなかなか物語に集中できなかった。
あと、メインキャラクターに非人間型がほとんどいないのも不満だ。

と言いつつ、二度観に行った。
ラストは泣いた。
もちろんチアルートとベイズが一番のお気に入りですよ。
ぷんすか。
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