新宝島2(サカナクション)

その余韻冷めやらぬまま、大阪城ホールでのサカナクション・ライブ。

サカナクションは去年くらいから聞いているのだが、ライブは初めて。
サカナクションというと僕にとっては「夜」のイメージと「水」のイメージ。
ライブももっと静かな感じかと思っていたのだが、実際のライブはパワフルで祝祭的だった。

といっても「夜」と「水」のイメージは変わらない。

マリンスノーが静かに舞い降りる深海に海底ドームがある。
その海底ドームに人々が集まり一夜の祭が行われる。
人々は音楽に酔い、音楽に合わせて踊る。
海底ドームから漏れ出る光がサカナたちを惹きつける。
やがて、太鼓の音と共に海底のマグマが蠢きだし海底火山が大爆発を起こす。
海底ドームは消え、僕らは海底でサカナたちともにいる。
そして僕らはいつの間にか海底で自然に息をしていることに気がつく。

サカナクションは夜の水底で息をする方法を教えてくれる音楽なのだ。
スポンサーサイト

ソラネコ

京都のネガポジというライブハウスにソラネコのライブを聴きに行った。
前に行ったのを調べたら2011年の8月なのでなんと3年半ぶりだ。
特に理由があって行かなくなったわけではなくて、スケジュールが合わなかったりとかそんなことが何回か続いたらいつの間にかそんな時間が経っていた。
最近はちょっと油断するとそれくらい経っちゃうね。
こわいこわい。

ソラネコは関西を中心に活動しているインディーズのバンドで、僕にとってはなんというか特別なバンドなのだ。
http://www.tanoshiya.com/soraneko/
僕の「京都虫の目あるき」にも登場してもらっている。
ボーカルで作詞担当のはたさとみさんの独特の世界観と5人のメンバーの絶妙なアンサンブルが唯一無二のソラネコ宇宙を作っている。

久しぶりに見る聞くソラネコはやっぱり素晴らしくて涙が出た。
今回は去年12月に出たアルバム「花子さんぼくは電車をおりますよ」(amazonでも買えますよ!)のレコ発ライブで、
5曲めまではアルバムどおりの曲順。
3曲めの「サルつかいの花子さん」という曲の歌詞からアルバムタイトルは取られている。
ちょっと狂騒的で毒のある、それでいてどこか懐かしいソラネコらしい名曲。
1曲めの「アワテラス」、前アルバムからの「ポヤランカン」はスケールの大きなファンタジー。
「トントントン」の透明な繊細さ、「はなもよう」のイギリスのパブ的賑やかさ、久しぶりに聞く「さみしんぼう」の孤独感とほのかな希望。
どの曲も素晴らしくてあっという間に時間が過ぎ、ラストは定番の「ケモノちゃん」で大盛り上がり。

対バンはヨーロッパの風景を歌い上げるピエモンテルノさん。
最後のアンコールではソラネコのメンバーも加わって「銭湯音頭」という謎の曲でカオスなエンディング。

はたさんが遠い島へ移住するというので、ソラネコの活動も変わってくるのだと思うけど、活動休止とかそういうことではないらしいので一安心。
これからもずっと付き合っていきたい。

僕とフォークと中川五郎さん(その2)

さて、そこでやっと中川五郎さんの話だ。
実は中川五郎さんには以前一度お会いしたことがある。
精華大学のマンガプロデュースコースに特任教授で来られていた高取英先生が主催している月蝕歌劇団の公演を観にいった後、高取先生に誘われて吉祥寺の飲み屋に行った。
そこに中川五郎さんがおられたのだ。
映画監督の佐藤寿保さんもおられた。
その頃は実は中川五郎さんの曲をちゃんと聴いたことがなく、だいぶ失礼なことも言った記憶がある。
思い出すだに恥ずかしい。

ずっと気になっていたのだけど、なんとなく聴きそびれていたのを、去年自分の中のフォークリバイバルの中で「六文銭/中川五郎」というCDを買った。
六文銭というのは小室等さんがやっていたバンドで、後半が中川五郎さんのアルバムになっている。
それで初めて中川五郎さんの音楽をちゃんと聴いた。
あまりにストレートな歌詞に最初は戸惑ったが、次第に引き込まれた。
2曲目(中川五郎さんの分の)の「主婦のブルース」も印象的だったが、5曲目の「自由についてのうた」から「コール・タトゥー」「殺し屋のブルース」、ラストの「腰まで泥まみれ」までの4曲の、強烈にメッセージ色の強い、しかもすごくかっこいい歌に打たれた。
言葉の力を信じている強さを感じた。

今日のライブでは最初に先日亡くなったピート・シーガーの話から始まった。
ピート・シーガーの曲を日本語に訳した「雪、雪」(表記が違うかも)という歌が最初の曲だった。
中川五郎さんは細かい花柄のシャツにブルージーンズ、スニーカー。
赤ワインをちびりちびり飲みながら、最初はバンジョー、後からはギター1本で歌った。
作家で僧侶の玄侑宗久さんの本から歌詞を取った「運命運命運命」という歌も印象的だった。
ボブ・ディランの話も出た。
中川五郎さんは「ボブ・ディラン全詩集」という本を出しているが今は絶版になっている。
しかし今度ソニーから出し直されるボブ・ディランの40枚のアルバムには中川五郎さんの訳が載るそうである。
都知事選の話が出てからの中川五郎さんの熱唱ぶりは凄まじいばかりだった。
怒りを歌に昇華させていた。
「六文銭/中川五郎」に入っていた「自由についてのうた」を歌ってくれたときはうれしかった。
「グーチョキパーの歌」の中では、五郎さんが大好きだというやなせたかしさんが作詞した「手のひらを太陽に」が中川五郎アレンジで挿入されていた。
いろいろなものが僕の中でつながっていく感じが面白かった。

ボブ・ディランがファースト・アルバムを出したのは1962年で、僕が生まれた年である。(ビートルズのファースト・シングルも同じ年。)
ピート・シーガーさんが初来日したのはその翌年。
僕の中では、ずーっと遠回りしてここに帰ってきた、という感じがした。
中川五郎さんの歌を聴き始めて間もない僕だけど、ここに来るのは何か必然的な感じがした。
僕にとって新しいけど懐かしい場所だった。

そんなわけで、中川五郎さんのライブにはまた行くと思う。
と言っても僕のことなので、きっと熱心におっかけをするとかそういうことじゃなくて、それでもずっと聴いていくんだろうな、と思った。
今の社会に疑問を感じている人は中川五郎さんを聴くといいよ。
ピート・シーガーも今度ちゃんと聴いてみよう。
日本のフォークもね。

僕とフォークと中川五郎さん(その1)

一乗寺の「のん」という喫茶店で開かれた中川五郎さんのライブに行った。
狭い店内の一番前の席、手を伸ばせば届くところで中川五郎さんが歌っていたのである。
と言っても白状すれば僕は中川五郎さんのよいリスナーではない。
それでも行きつけの古本屋である萩書房に中川さんのライブのチラシが張ってあるのを見て、これは行かなくてはと思ったのだった。
それを説明しようと思うとずいぶん昔の話に遡らなくてはならない。
長い話だし、とても個人的な話なのだ。
中川五郎さんに興味のある人は(その1)は飛ばして、(その2)から読んでいただいてかまわない。

ひなは生まれて最初に見た動くものを親鳥だと思う、というのはコンラート・ローレンツがインプリンティングの例として報告したものだが、少々拡大解釈されている嫌いがある。
とは言え、確かに最初の出会いが後に大きな影響を及ぼすのは人間も同じである。
僕が音楽に音楽として関心を持った最初が「フォーク」だった。
最初に聞いたのはかまやつひろしの「我が良き友よ」だった。
それまで聞いていた歌謡曲とは違って聞こえた。
新鮮だった。
1975年、中学1年のときである。
それでフォークにはまって色々聞いたのかと言うとそう言うわけでもなく、まだオタクと言う言葉のなかった時代のオタクとして、古いアニメや特撮番組の主題歌を熱心に聞いていたりした。
友人で音楽に詳しいのは吉田拓郎や井上陽水を聞いていたし、同世代のもっととがった感性を持った連中はその頃イギリスとアメリカで生まれたパンクを聞いていたはずだ。
ちなみに「我が良き友よ」が吉田拓郎の曲であることはだいぶ後になって知った。

高校時代は何となくフォークを聞いていたのだけど、その頃聞いていたのは四畳半フォークからニューミュージッックに変わる当たりで、反戦フォークとかプロテストソングとかいうのは別世界の話だった。
恥を忍んでその頃好きだった曲をランダムにいくつか挙げてみる。

ガロ「学生街の喫茶店」
ふきのとう「風来坊」「雨降り道玄坂」
グレープ「無縁坂」
かぐや姫「神田川」
イルカ「なごり雪」
風「22才の別れ」
NSP「夕暮れ時はさびしそう」
オフコース「僕の贈りもの」
チューリップ「心の旅」「魔法の黄色い靴」

わあああああ、ベタだなあああああ!!!!!
恥ずかしいいいいいい!!!!!
でもこの辺が僕にとっての「70年代フォーク」だったのだ。
この恥ずかしさは他の世代の人には分からないかもしれない。
どの時代にも一時代前のものを馬鹿にしたり恥ずかしく思ったりすることはあると思うんだけど、80年代がいかに激烈に70年代を否定したかはその時代を体験していないと分からないと思う。
80年代には70年代的なものがとても恥ずかしかった。
その象徴がベルボトムだったり白いギターだったりした。
その中にフォークソングがあった。

80年代に僕は大学生になり、洋楽を聴くようになった。
その頃流行っていたブリティッシュ・ニューウェーブとそこから遡ってブリティッシュ・パンクと、やはりイギリス中心でプログレッシブ・ロックを聴いた。
フォークは僕の中で完全に封印された。
それは若気の過ちで恥ずかしく後ろめたいものだった。
今でいうところの黒歴史だった。

そのフォークにもう一度関心を持つようになったのは2012年に自分が50歳になったことが大きい。
自分が50歳になってみて、自分が生まれ育った時代と言うものに関心が向いた。
そろそろ聴けるかな、と思って去年、実駒が留守の間に、いくつか買い込んだ70年代フォークのCDをおそるおそるかけてみた。
そして、強烈な恥ずかしさとともに、それが自分の根っこにあることを否応なしに認めざるをえなかったのである。

それで初めて、フォークと言うものがどういう音楽なのか興味を持った。
ウィキの「日本のフォークシンガー」という項目を見ると僕が聴いていたフォークは「歌謡フォーク」というカテゴリーになっている。
そんな言葉知らなかった。
いずれにしても、60年代に始まったメッセージ性の強いフォークソングが、70年代に入ってメッセージ色が薄まってアイドル化したもので、たぶん古いフォークファンからすれば堕落したフォークだったんだと思う。
でもそれが僕にとっての、ひなが生まれて初めて見た動くもの、だったのである。
それは否定のしようもないものなのだ。
でもそれがどこから出てきたのかは知っておきたい、という気持ちが湧いた。

恵比寿マスカッツ解散全国ツアー2013『ABAYO』(^o^)/~

「おねがい!マスカット」という深夜枠の番組について知ったのはネットの上で、最初ユーチューブかなんかで見て、面白い、と思って、普段テレビをあまり見ない僕にしては珍しく続けてみるようになった。
その後、タイトルが何回か変って最終的に「おねだりマスカットSP!」になるまで、毎回欠かさず、ってほどではないけど、ゆるく見続けていたのだ。
実駒も、この番組は気に入っていた。

「おねマス」はおぎやはぎとなぜかゲストという肩書きでほとんど毎回出ている大久保佳代子が司会をして、恵比寿マスカッツという女の子たちと様々な企画をやるバラエティーだ。
と言ってもおぎやはぎも大久保佳代子もこの番組で知ったんだけどね。
恵比寿マスカッツの中で知っていたのは蒼井そらだけ。
蒼井そらは知ってた。有名なAV女優だ。
そう、恵比寿マスカッツのメンバーのほとんどは現役のAV女優である。
(何人かグラビアアイドルもいるけどね。)

最近読んだ「アダルトビデオ革命史」(幻冬社)で、AV女優が本当の初期からアイドル化を目指していて、当時の人気AV女優がレコード(CDじゃなく)を出したりしていたのを知ったけど、そういう中でもたぶん恵比寿マスカッツは突出した存在だった。
実際、番組はバラエティーとして面白かったし、恵比寿マスカッツは魅力的だった。
一人一人の個性が際立っていて、どんな企画にも全力で当たっていた。
笑えたし、見た後ハッピーな気分になった

その恵比寿マスカッツが解散すると聞いて、実駒と二人、大阪心斎橋BIGCATのライブに行ったのだ。

観客の中には女の子もけっこういた。
カップルもいたし、女の子同士で来ている子たちもいた。
もちろん大半は男性で、たぶんアイドルのライブというのはこんな感じなんだろうと思う。
本当に普通に恵比寿マスカッツはアイドルだった。

3代目リーダー希志あいのが抜群の安定感で場をしきり、吉沢明歩とRioが前に出ると場が華やいだ。
瑠川リナは愛らしく、最近しばらくぶりに復帰した希崎ジェシカが前に出ると歓声が上がった。
初代リーダー蒼井そらはむしろ変な存在感で場を乱す役どころ、初音みのりとかすみ果穂も独特の存在感。
三十路川村りかは年齢ネタで場を盛り上げ、おバカキャラが売りの小川あさ美はすごくキュートだった。
実駒お気に入りの2代目リーダー麻美ゆまがいなかったのは残念だけど、空気読めないがウリの西野翔が欠席した麻美を気遣った。
全員は書ききれないけど、それぞれ個性的で、輝いてた。

このメンバーで集まることはもうないんだなあと思うとちょっと切なくなった。
たぶん何十年かした時に、恵比寿マスカッツが青春だった、と思うんだろうな・・・
え?青春はない?
80になれば50歳なんて青春ですよ!
ふん!
プロフィール

おがわさとし

Author:おがわさとし
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR