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京都の伝統産業実習

京都精華大学には「京都の伝統産業実習」という授業がある。
夏休みに伝統工芸、伝統産業の仕事の現場で直接指導を受ける実習授業。
https://www.kyoto-seika.ac.jp/edu/sangaku/taac/
この授業はマンガ学部の学生も受講可能なので、僕も委員に入っている。
去年から澤村陶哉工房という陶芸の工房の担当に当たっていて、今年はデザイン学部の二人の学生が先週からお世話になっている。
今日はお礼を兼ねて澤村陶哉先生のところにご挨拶に伺う。
学生はとてもまじめに実習を受けているそうで一安心。
土鍋や鳩笛、ボタンなど大きいものから小さいものまでいろいろ作らせてもらっていた。

陶哉先生の勧めでお弟子さんの指導のもと僕も陶芸体験をさせてもらう。

おたまじゃくし

ぐい呑みと箸置きです。
焼き上がったら学生が届けてくれるそうで楽しみ。
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卒展打ち上げ

22日までの卒展が無事終わり、搬出も終わって、23日はゼミの卒展打ち上げをした。
ゼミ生の一人が最近結婚したので、その結婚祝い(サプライズ)も兼ねて。
実は訳あって医者に酒を止められているので、僕はアルコール抜きだったのだが楽しい会だった。
色紙ももらったしね。
やっぱり嬉しい。
ゼミが決まって最初に集まった時は、卒業したら樹海に行きたい発言で盛り上がったりしたりして、どういうゼミやねんと思ったものだが、いや、みんなよくがんばったと思う。
卒制は手前味噌ながらみんな質の高いものを作ったと思うし、展示に向けてのチームワークもよかった。
みなさんお疲れ様でした。

今回はイタリアン系の店にしてみたんだけど、なかなかよかったと思う。
店員さんもフランクで。
また使ってみようかな。

卒展搬入

昨日今日と卒展の搬入だった。
卒展の搬入というとけっこう雪だったり、寒いことが多いのだが、今年は暖かかった。
特に搬入の月曜日に雪が降ったりすると大変なのだ。
ストーリーマンガコースは展示にけっこう時間がかかるのだが、今年は大きなトラブルもなく無事終了。
みんなお疲れ様。

明日18日(水)から22日(日)まで京都精華大学マンガ学部卒展です。
会場は烏丸御池の京都国際マンガミュージアムです。
4年間の集大成をぜひご覧になってください。
同じ期間、芸術学部とデザイン学部の卒展も京都市美術館で開催されるので、そちらもよろしく。

東北フィールドプログラム

8月24日から30日まで、国内フィールドプログラムで岩手に滞在した。
国内フィールドプログラム(東北)は、今年で3回めになる授業で、岩手に滞在して地元の高校生の学びを支援したり、被災地を訪れて様々な活動をするものだ。
人文学部開講科目だが、他の学部からも参加できる。
今年は教員側の慣れもあってかミスや不手際が目立って学生には迷惑をかけたのだが、結果的にはなかなか充実した1周間になったと思う。

24日朝仙台に集合して、そこからレンタカーで岩手県住田町に移動。
五葉集会センターというところを使わせていただき、拠点とした。
住田町は岩手県の内陸の町で、震災被害そのものは大きくなかったのだが、その分ボランティアの拠点として重要な役割を果たしている。
2011年の夏以来、僕にとっては4回目の住田である。

住田についた午後、公民館でいわてGINGA-NETというNPOが活動報告をしていて、そこに参加させていただく。
そこで山田周生さんという人と知り合い、その出会いが今回のフィールドプログラムの一つの柱になった。

しかしその前に、前半の活動だった陸前高田市での活動について簡単に書いておこう。
陸前高田には毎年行っているのだが、今年は大きく様変わりしていた。
山から巨大なベルトコンベアが走っていて、山を切り崩して出た土砂を使って嵩上げ作業が急ピッチで進められていた。
津波の被害を受けた建物はほどんど撤去されていたが、4階まで津波被害を受けたマンションが一見残っていて、当時の津波の凄まじさを伝えていた。

仮設住宅で二日にわたって、似顔絵を描いたり、ベニヤ板に絵を描くアートイベントを行った。
今回マンガ学部の学生が二人参加していて、彼女たちの腕の見せ所だ。
人文の学生も上手くサポートしに回ってくれた。
宣伝が急だったこともありそれほど多くの人が来られたわけではないのだが、来られた人はずいぶん喜んでくれてこちらが救われた、
岩手の人の優しさは毎回感じるところだ。

後半は先に書いた山田周生さんのお世話になった。
山田周生さんは、元々写真家でサハラ砂漠を何度も縦断したりしているアクティブな人だ。
てんぷら油などの廃油だけで走る自動車を自分で開発して、もらった廃油だけで世界一周をしたりもしている。
その後、同じように廃油で日本一周をしていた時、石巻で震災に遭った。
当時、ガソリンなども手に入らないときに廃油利用の自動車で物資の運搬などの活動に奔走した。
その後も釜石に拠点をおいて、ユナイテッド・グリーンというNPOを立ち上げ、山と海を結んだ自給自足のコミュニティの実験をされている。

被災地に来ると、ほんとうに色々な人に会うのだが、その中でも山田周生さんの経歴は驚きの連続だった。
岩手に来て初日にこういう人に出会えたのは僥倖だった。
知り合ったばかりの僕らを山田さんたちは暖かく迎え入れてくれ、活動にも参加させてくれた。
ナタネの肥料まきや被災された漁師さんのところで、ホタテの養殖のお手伝いなどもさせていただいた。
学生が体を使ったボランティアをするのは実は今回が初めてで、学生にはその方が実感があるようだ。

最終日には、住田町の食材研究会の人たちが歓迎会をしてくれた。
今年はいわてGINGA-NETさんの学生ボランティアとうちの学生の両方が参加しての賑やかな会になった。
毎年こうして歓迎会をしてくれて、地元の美味しい料理をふるまってくれるのだが、ありがたいことだ。

今回の授業についてはマンガにまとめてみたいと思っている。
11月の木野祭で報告会をするので、それまでには仕上げます。

川添先生のこと

イラスト学科の川添貴先生が3月30日に亡くなった。
ご病気のことも知らなかったので、訃報を聞いてもにわかに信じられなかった。
川添先生は僕より3歳も年下なのだ。

僕がマンガ学部の入試委員長を務めていた時期があるのだが、その頃デザイン学部の入試委員長が川添先生だった。
その頃が一番お会いする機会が多かった。
大学内でも入試委員長会議というのがあって、そこで大学の行く末に関してああだこうだと意見を言い合っていた。

入試委員長は出張も多くて、その頃は毎年のように川添先生と台湾に行っていた。
川添先生は、イラストの先生は普段からセンスのいい、かっこいいところを学生に見せなければならない、という持論を持っていて、服装にもこだわっていた。
パンクなノリの服装が多かった。
ところが、川添先生の初めての台湾出張の時、川添先生一人がスーツだったことがある。
デザインの先輩教授に、やっぱり台湾の高校に行くのだからスーツじゃないと、と言われたらしい。
僕らは何回目かで、僕はジーンズにTシャツに軽く上着をはおったくらいのラフな格好。
他の先生もラフなスタイルだった。
川添先生は、だまされた!と言ってしきりに悔しがっていた。
他の服を持ってきていなかったのだ。
いざ台湾の高校へ行くという時に、ホテルのロビーに現れた川添先生はスーツを思い切り着崩して、ラフでかっこいい川添スタイルにしていた。
さすが、と思って感心した。

川添先生とは出身高校が同じで、京都府立鴨沂高校の3年下だった。
ちなみに、川添先生に、やっぱりスーツじゃないと、と吹き込んだ、坪内前学長も鴨沂出身である。
自由な校風の高校だった。
マンガ家の山本サトシ君がやはり僕の3年下で、川添先生は子どもの頃から知っていたそうだ。
昔から怪獣の絵を描いていた、と言っていた。

教育には熱さが必要、というのも川添先生の持論で、川添先生自身が熱い人だった。
鴨沂の後は精華大学のデザイン学科に進んで、祭の実行委員もしていた。
生粋の精華人なのだ。
祭好きで学生が好きでアートが好きだった。
精華の一番精華らしい先生だった。

僕が入試委員長を辞めてからは会う機会も減っていたが、元気でやっているものと思っていた。
まさかこんなに早くお別れすることになるとは思ってもみなかった。

今日のお通夜には遅れて行った。
多くの教え子たちも来ていた。

今朝は京都精華大学の入学式だった。
新しい学生が川添先生の熱い授業を受けられないのは残念だけど、後に残った僕らが精華の自由で熱い授業を引き継いでいかないといけないのだと改めて思った。
本当に早すぎるし、まだ実感が湧かないのだけど、今はご冥福をお祈りしたい。
川添先生、ありがとう。
そしてさようなら。
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