ホット・ファズ

みなみ会館で「ホット・ファズ」を観る。
エリート警察官の主人公ニコラスが、優等生すぎて田舎に左遷される。
その村でも浮いた存在で、だめ警官のダニーが唯一の話し相手。
やがて彼らは村で進行している恐るべき犯罪に関わっていく。
というふうにあらすじを書くと、いかにもよくある安っぽい刑事ものに見える。
しかし、この映画が面白いのだ。
いちおうコメディータッチなのだが、サスペンスとしてもよく出来ている。
映像の切れがよく、飽きさせない。
娯楽作品として一級品と言っていいと思う。
おや、どこかで見た顔が、と思ったら4代目ボンド、ティモシー・ダルトンじゃないか。
こういうやらしい役をやっても映えるな。

監督のエドガー・ライト監督はこの前にゾンビもののパロディー「ショーン・オブ・ザ・デッド」を撮ってるんだけど、この監督が撮ってるんだから、それは面白いだろう。
ぜひ観てみたい。
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「闇の子供たち」(原作)

「闇の子供たち」の原作小説(梁石日)を読む。
小説なので、当然映画では描けない描写などもある。
児童買春の描写などは、より真に迫っている。
映画と大きく違っているのは、この小説の主人公がむしろタイ人のパナポーンと音羽惠子の二人の女性であることだ。
映画で主人公として活躍する南部浩行は後半になってやっと出てくる。
妻夫木聡が演じたカメラマンも小説ではちょい役、佐藤浩市のやった役なんて、原作小説には登場しない。
総じて、映画版では日本人の登場人物がより比重を増している。
馴染み深い日本の俳優を多く出すことで、より多くの観客を動員しようと考えたのかもしれない。
より多くの人に観てもらう、という意味ではそういうことも必要だということだろうか。
ポスターにも日本人俳優の顔しか使われていないし、その辺はちょっとなんだかなあという気がする。
タイ人側の俳優がすごくよかっただけに、扱いの小ささが気になる。
ラストも原作と映画では違っている。
小説版のラストはより苦いのだが、そこに希望も描かれている。
映画をご覧になった方は原作も読まれるといいと思う。

8 1/2

みなみ会館で「8 1/2」のニュープリント版を上映しているので、観にいった。
フェデリコ・フェリーニ監督の1963年作品。
ちょうど僕が生まれた頃に撮られた映画だ。
白黒の映像が素晴らしい。
魔術師の魔術師たる所以である。
ニュープリント版ということで画面もクリア。

こういう古典がときどきは劇場にかかるのはとてもいいことだ。
たまにこういう古典が観たくなる。
最新作には最新作でないと味わえない臨場感があるけど、古典は古典で古びない。
あるいは古びたところが味わい深い。
フェリーニは全然古くなっていない。
人生は祭だ。
一緒に味わおう。

京都シネマの二本

京都シネマでやっている「闇の子供たち」と「グーグーだって猫である」を続けて観る。

実のところ、僕はドキュメンタリーでない社会派の作品、というのがあまり好きではない。
どこまでが現実でどこからがフィクションなのか判然としないからだ。
ドキュメンタリーだって制作者の主観が入る。
劇映画であればなおさらだ。
「闇の子供たち」の伝える現実は吐き気を催すほど醜悪だ。
タイの児童買春と臓器売買の実態を映画は追う。
太った醜悪な外国人に陵辱される子供たち。
生きながら臓器(心臓)提供をさせられる女の子。
それが事実なのか確かめるすべを僕は持たない。
しかし事実なのだろう。
そういういことが決して遠くない国で行われているのだろう。
日本人もそこに関わっているのだろう。
ではこの映画を観た僕たちは何をすべきなのか。
投げかけられたボールはあまりに重い。
途方にくれる。

「グーグーだって猫である」は大島弓子さんのマンガの映画化作品。
以前にも大島弓子作品を映画化したことのある犬童一心監督の、愛に満ちた映画。
僕はサバが死ぬ冒頭から泣いてしまったので、あまり冷静には観れなかった。
しかしこの映画はそれでいいのだと思う。
もう少し丁寧に生きようと言う気持ちにさせられる映画。
大島弓子さんのマンガが久しぶりに読みたくなった。

二つの全く違う映画が、それほど食い合わせの悪いように見えなかったのは二本とも「命」についての映画だったからかもしれない。

スカイクロラ

押井守監督作品「スカイクロラ」を観る。
今さらだけどネタバレ。





観終わってなんとも釈然としない映画だった。
大人にならないキルドレという子供たちが、企業のプロデュースするショーとしての戦争で戦闘機乗りとして戦う。
彼らは殺されなければ死ぬことはない。
その日常を描いていくんだけど、それで何が伝えたいのか分からない。
作品のメッセージというのは作品の構造自体に反映されなければいけない。
後半、毎日歩く同じ道でも違う場所を踏んで歩くことができる、それではいけないのか、と言う主人公のモノローグが出てくる。
一見もっともらしいメッセージなのだけど、この作品の設定とこのメッセージがそぐわない。
自分が置かれている非人間的な社会的状況を無反省に所与のものとして受け入れて、そこで毎日少しずつでも違う日常を楽しもうよ、と言うのは無責任に過ぎないか。
この映画を観た後、NHKでやった押井守監督のドキュメンタリーを録画したものを友人宅で観たのだが、それによるとキルドレたちの置かれている状況が若者たちの置かれている状況なのだと押井監督は言いたいようなのだけど、それはだいぶずれていないか。
リアリティーなき日常を生きる若者、と言う言説は80年代くらいから言われだしたものだと思うけど、端的に言って嘘だと思う。
若者(子供たち)はもうちょっとリアリティーがあって多様で複雑な日常を生きている。
ちょっと時代が変わったくらいでそれは変わらない。
そして戦争なんかなくたって、充実した生を感じられる場所はある。
主人公のモノローグにこめられたメッセージを伝えるのに、こんな込み入った設定はいらない。

それはそれとして、草薙水素の人形みたいな目にちょっと萌えを感じたのは事実だ。

それはそれとして、森博嗣さんの原作はちょっと読んでみたい。
直感だけど、映画とはだいぶ違うんじゃないかという気がする。

ラジオ

9月6日土曜日の午後3時からラジオに出ることになりました。
FM797京都三条ラジオカフェというラジオ局の「きょうと・人・まち・であいもん」という番組です。
なんかだいぶ前に出した「京都虫の目あるき」の話になるようです。
FM793のホームページはここ。
http://radiocafe.jp/index.html
エリア外でもネットで聞けるみたいです。
たぶん大したことしゃべりませんが、ご興味がありましたら聞いてみてください。

☆管理代行人より補足☆
↓放送終了後にこちらで聴けるようです。
http://kyoto-hitomachi.seesaa.net/
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