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クロッシング

みなみ会館でキム・テギュン監督「クロッシング」を観る。
脱北者を扱った力作。

北朝鮮の炭鉱労働者キム・ヨンスの日常から映画は始まる。
その普通さに打たれる。
貧しい中にも笑いがありささやかな幸せもあるその日常は、どこにでもある庶民の日常だ。
極端な貧困と厳しい思想統制の最中にあっても、人間の感情は変わらない。
そういう風にこの映画は始まる。
その後脱北者家族の過酷な運命を描いても、この映画がプロパガンダ映画にならなかったのは、作り手のその確信にあるのではないかと思った。
作り手は北朝鮮という国家体制の非人道性を告発することよりも、北朝鮮の民衆に寄り添い、連帯の意思を示そうとする。
日本人である僕がこの映画を信用することが出来るのは、その作り手の姿勢があるからだ。
この映画はよい意味でメロドラマである。
北の同胞の悲劇に共感し、ともに涙を流すことを恥じない。
日本人である僕にもその感情は国境と関係なく共感できる。
もちろんメロドラマと言っても監督は綿密なリサーチを行った上でこの映画を作っており、その意味ではドキュメンタリー的でさえあるのだが。

僕らが普段目にする北朝鮮の人といえば、キム・ジョンイルと国営放送のアナウンサーくらいだ。
そこに人間的な共感を感じることは難しい。
しかし、北朝鮮であろうと普通の民衆は僕らとそんなに違う人間ではない。
たぶんあのアナウンサーたちも家に帰れば普通のお母さんやお父さんなのだろう。
その当たり前のことにこの映画は気づかせてくれる。

仮にいつか北朝鮮から日本にミサイルが飛んできたとしても僕はあの国と戦争をしたくはない。
その時僕らが殺しあわなくてはならないのはロボットのような北朝鮮兵ではなく、普通の北朝鮮の民衆であろうからだ。
あの国の国家体制がいかに非人道的であろうと、忍耐強く対話を続けていくことにしか未来はないのだと思う。
そんなことをこの映画を観ながら感じた。
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戦闘少女、とか

昨日観逃していた井口昇監督「片腕マシンガール」のDVDを観た。
いや、聞きしに勝るバッドテイストぶり。
八代みなせさんはかわいいな。

で、井口監督の新作が公開されていたんじゃなかったっけと思って調べたら、今日のレイトショーが最終日だった。
授業終わった後、みなみ会館に行って、井口昇、西村喜廣、坂口拓共同監督「戦闘少女 血の鉄仮面伝説」を観る。
こちらも見事なまでに血みどろ映画。
しかも主演3人が美少女という大変ありがたい映画である。
なむなむ。
主演の杉本有美さんも美しいが、ナース姿の森田涼花さんのおちゃめでエグい魅力も捨てがたい。
数々のくだらないアイテムも充実している。
でも人には勧めませんよ。
僕の人格が疑われるから。
観たい人は勝手に観てください。
文句言っても知りませんよ。

サバイバル・オブ・ザ・デッド(その2)

もう一つは、この映画が一見非常に古典的な作りをしているように見えることだ。
この作品の舞台になっている島はまるで時間に取り残された場所のようで、主人公たちがこの島にやってくるのは一種のタイムトラベルのように見える。
美しい自然に囲まれた島での二つの家をめぐるドラマは西部劇そのもので、ホラーという武器で常に時代と切り結んできたロメロの作品としては奇妙に時代がかって見える。
21世紀に9・11を契機としてゾンビの世界に帰ってきたロメロが、なぜこんな古典的な物語を選んだのだろう。
ここで描かれている世界を支配している家父長制、独立と自衛の精神、キリスト教の篤い信仰、移民の歴史といったものは、おそらくアメリカのある種の人々にとって、まぎれもなく古き良きアメリカを代表するもので、アメリカをアメリカたらしめてきたと考えられるものだろう。
ロメロが問題にしているのは、その「アメリカ精神」そのものである。
現代という時代から華々しいテクノロジーやメディアの表層的イメージを取り払ってみれば、実はそこには変わらぬ「アメリカ精神」がある。
その「アメリカ精神」の亡霊が今も戦争を引き起こしている。
ロメロが鋭く突きつけているのはそこだ。
いかなるノスタルジーとも無縁にアメリカをアメリカたらしめてきたアメリカ精神そのものをロメロは切りつけるのだ。
そこにこの映画のラディカルさがある。
人間の変わらぬ愚かさにロメロは怒る。
一見古典的に見えるこの物語は、やはり現代を描いている。
現代を支配している旧い亡者を描いている。
この映画の中では生きているものが亡者で、その亡者に脅かされ飼われそして復讐するゾンビが僕らだ。
だからこの映画のタイトルは「サバイバル・オブ・ザ・マン」ではなく「サバイバル・オブ・ザ・デッド」なのだ。

サバイバル・オブ・ザ・デッド(その1)

TOHOシネマズ二条でジョージ・A・ロメロ監督の最新作「サバイバル・オブ・ザ・デッド」を観る。
前作「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」から間を置かずに発表された続編に当たる作品だが、フェイク・ドキュメンタリーの手法を取った前作とは違い、ある意味で非常に正統派の作品だ。
実際観ていて、何かシェークスピア劇でも観ているような錯覚に陥った。
これは「古典」だと感じた。

そう感じた理由はたぶん二つある。
一つはこの映画において、ジョージ・A・ロメロが到達した地点が、まさに巨匠のそれであったということだ。
その重厚で美しい映像や深みのある人間描写の堂々たる風格は、ロメロがホラー映画という1ジャンルにとどまらず、現代を生きるもっとも重要な映画作家であることを示している。
そしてそのことはロメロの映画を観続けてきた者にとっては驚きではない。

K-20 怪人二十面相・伝(特にネタバレなし)

DMMから届いた「K-20 怪人二十面相・伝」を観た。
上映時には、ちょっと観たいけど映画館で観るほどでもないかなあと思ってスルーしていた映画。
佐藤嗣麻子監督は「エコエコアザラク」の1作目を観ているはずなんだけど、実はよく覚えていない。
で、あまり期待せずに観たんだけど、オープニングで歴史改変SFちっくな設定になっていて、ちょっとおっと思った。
でもその後の展開が、いろいろつっこみどころ満載。
これはちょっと辛いかもと思ったけど、松たか子が金城武と会う辺りから少しずつ持ち直す。
松たか子という女優については特にすきでも嫌いでもなかったんだけど、この映画のコメディエンヌとしての松たか子はなかなか魅力的だ。
松たか子といっしょになると金城武の魅力も生きてくる。
まあ、その後も脚本は粗が多いし、なんだか甘ったるい理想主義が顔出すのもいただけないけど、後半はけっこう楽しんだ。
欠点は多いけど、やりたいことはよく分かるし、意気込みは感じる。
道具立てやキャラクターには魅力的なところがたくさんある。
こういう娯楽アクションが日本でももっと作られていい。

ところで、予告見ても本編見ても、原作・北村想の扱い小さいなあ。
いや僕も原作読んでませんけどね。

妖星ゴラス

おやおや気がつけばもう7月だよ。
日記がまた空いたけど、その間にあったことについてはまた後日。

で、今日は例によってDeAGOSTINI東宝特撮映画DVDコレクション19「妖星ゴラス」。
配布よりだいぶ遅れております。
「妖星ゴラス」といえば、南極に巨大なロケットを作って地球の軌道を変えるという荒唐無稽なアイディアから、トンデモSFというイメージがあったんだけど、あらためて観たらなかなかにこれ重厚な作品だな。
せまり来る地球の危機に対して、個人の超人的な活躍によってではなく、人類が力をあわせて危機を乗り越える。
その過程が丹念な描写で描かれていて、見ごたえがあった。
きめの細かい脚本、豪華な配役、迫力のある特撮、大人の鑑賞に堪える映画を作ろうという意気込みがひしひしと感じられる。
人間讃歌だが、自然を前にした人間の無力さに対する自覚も失われていない。
日本特撮映画の精華だと思います。
見事。
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