塔の中の姫君(2)

ところで、塔の中の姫君と盗賊の組み合わせ、と言えば「ルパン3世/カリオストロの城」だが、塔の内装を含め、どうもディズニーのスタッフはカリ城を意識していたのではないかと思える。
宮崎アニメを髣髴とさせるシーンは他にもいくつかある。

で、「エンジェル ウォーズ」だけど、こっちは監督がザック・スナイダーだというだけで他に何の予備知識もなしに観にいった。
吹き替え版しかやっていなかったので、しかたなく吹き替え版を観た。
僕はアニメーションは吹き替えでもいいけど、基本実写映画は字幕版で観たいのだが。

こちらも閉じ込められる女の話だった。
しかし、基本的にオーソドックスな語りの「塔の中のラプンツェル」に対して、こちらは最新型の「塔の中の姫君」。
閉じ込めれれているのは5人の少女。
閉じ込めているのは男たち。
それがどこなのかは簡単に言えない。
何か書けばネタバレになってしまうような複雑な設定で、あまり詳しくは書けないのだが、現実と虚構の壁がなくなってしまうような不思議なリアリティーは素晴らしい。
アクションも大変いいのだけど、ガールズ・アクションものとして宣伝しているのはどうかと思う。
強いて言えば「インセプション」ガールズ・アクション版である。

「塔の中の姫君」という古くからある物語類型が、現代にも形を変えて生きている。
その実例を二本続けて観て、物語の中の変らないものと変っていくものについて思いをはせた一日であった。
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塔の中の姫君(1)

MOVIX京都で「エンジェル ウォーズ」と「塔の上のラプンツェル」を観た。
特に意識してその二本を選んだのではなかったが、たまたま二本とも、囚われている女性が脱出を試みるというテーマが共通していた。
新城カズマさんは「物語工学論」の中で、こういった物語類型を「塔の中の姫君」を呼んでいる。
この本はいろいろと示唆に富む本で、授業でも使わせてもらっている。

順番としては上の順番で観たんだけど、まず「塔の上のラプンツェル」から。
ディズニーが記念すべき長編アニメーション50作目に「ラプンツェル」を選んだのを知ったとき、かなり意外な気がした。
確かに有名な童話ではあるが、今映画にして面白くなるものか疑問だったからだ。
特に、男の助けを待つ女、という設定を今ディズニーがどう扱うか興味があった。

物語の基本は「塔の中に閉じ込められているラプンツェルの自由への解放」であり、そこは変わらない。
しかし、グリム童話の短い原作に、脚本家は様々な肉付けをしている。
まずラプンツェルを閉じ込める魔女にラプンツェルを閉じ込める理由をはっきり与えた上で、魔女とラプンツェルの関係を母娘関係になぞらえている。
ラプンツェルは自由に憧れつつ、母親に対していい子でいたい、という願望も持ち、そこに現代でも通用する束縛する母親とそれに反感を持ながら逆らえない娘、というリアリティーを持ち込んでいる。
まずそこが上手い。
母親のキャラクター作りも巧みだ。

次に、原作ではラプンツェルは貧しい農家の生まれで、助けに来るのは当然王子なのだけど、映画ではラプンツェルが王の娘で、塔にやってくるのは盗賊である。
盗賊のフリンはラプンツェルを助けに来たわけではなく、逃げていてたまたま塔に入り込むのである。
ラプンツェルはフリンと契約して塔の外に連れて行ってもらう。
あくまでラプンツェルとフリンの関係が対等になるように計算されていることが分かる。
原作では最終的に王子がラプンツェルに居場所を与えるのに対し、映画ではラプンツェルがフリンに居場所を与えるのである。

ラプンツェルの特徴である長い髪にも特殊な力が与えられ、そのCGによる表現も含めて、巧みに使われる。
脇役の扱いも含め、ディズニーの伝統と言うより、古きよきハリウッドの伝統を総動員したようなストーリーテリングの冴えは見事。
ディズニーなめてたよ。
さすがに上手いな。

ZERO:9/11の虚構(3)

正直言って今も陰謀説を信じているわけではない。
しかし何か重大なことが隠されていることについてはかなり確信に近いものを感じている。

9/11については多くの研究もあり、陰謀説に対する多くの反証もあるはずで、ペンタゴンでの出来事についても様々な見方があるのだろう。
それについてはこれから少しずつ調べていこうと思う。
しかしペンタゴンで起こったことについて、納得のいく説明を聞くまで、陰謀論もまた( )に入れて見る必要があると思っている。
そしてペンタゴンが疑わしい以上、ツインタワーについても公式説明が正しいと確信するわけにはいかない。

ZERO:9/11の虚構(2)

ツインタワー崩壊に関する矛盾する証言がすべて勘違いや記憶違いだったとしよう。
チリから検出された硫黄やバリウムもなんらかの偶然で紛れ込んだものだとしよう。
飛行機が起こしたわずかな火災でツインタワーが自由落下と変らない速度で崩落したことも、様々な条件が重なって起きた未知の現象だったとしよう。
疑わしい全てを( )に入れて、とりあえず結論を急がないようにしよう。
映画の時として過剰な演出も割り引いて考えよう。
出演者が語っている全てが真実とは限らないことも肝に銘じよう。

しかし、どう考えても、アメリカでもっとも厳重に防御されているペンタゴンに、素人の操縦する大型飛行機がノーマークで近づき、追跡もされず迎撃もされず、アクロバティックな飛行の末、ペンタゴンの壁に5メートルの小さな穴だけ残して、機体の残骸も残さず消えてしまう、なんて事があるだろうか?
しかも80数所もの監視カメラに囲まれながら、機影が確認できる映像は公開されていないのだ。
ペンタゴンがテロ攻撃にあうというこの重大事件について、アメリカ政府が徹底した調査をしなかったわけはない。
ツインタワーよりこっちの方がよほど大事なのだ。
それでも公式説明は「ペンタゴンに素人が操縦する大型旅客機が激突した」なのである。

少なくともこの点に関するかぎり、答は明白だ。

何かが隠されている。

そしてそれは小さな嘘ではありえない。

ZERO:9/11の虚構(1)

京都シネマで「ZERO:9/11の虚構」を観た。
9/11事件を検証する2007年のイタリアのドキュメンタリーである。
この映画はいわゆる「陰謀論」の映画ではない。
あくまでアメリカ政府の「公式説明」を検証し、疑義を提出している映画である。

僕がこの映画を観にいこうと思ったのは、去年亡くなった先輩の影響が大きい。
聡明な先輩はこの件に関しては、陰謀説に立つことを明言していた。
先輩の影響で、僕も陰謀説に関する本をかじった。
確かに9/11事件には奇妙なことが多いことが分かった。
しかしそれでも僕は陰謀説を信じるには至らなかった。

主な理由の一つは、9/11事件が公式発表にあるようなアルカイダによるテロではなく、アメリカ政府に関わる何者かによる自作自演の陰謀だと仮定すると、この陰謀にはあまりに多くの人間が関与しているように思えたことだ。
少なくとも数百人の人間が関与し、口裏を合わせなければこんなことは出来ない。

ケネディ暗殺は陰謀だったかもしれない。
柳条湖事件やトンキン湾事件は謀略だったことが分かっている。
しかしこれらに関わった人間の数はそれほど多くない。

ナチスのホロコーストのような大規模な事件には、たとえ誤ったものであれ、なんらかの大義名分が必要だ。
自国の罪のない市民を何千人も殺すに足る大義名分があるだろうか?

およそそのように考えて僕は陰謀説を信じることが出来なかった。

今回この映画を観にいったのは、一つには先輩に対する義理立てだった。
僕は一つの結論を出すほどにこの事件について調べたわけではない。
この映画がその答を与えてくれることを期待していたわけでもなかった。

このドキュメンタリーはツインタワー崩壊にまつわる様々な矛盾を暴き立てる。
犯人とされた19人のアラブ人についても、ビンラディンやアルカイダについても懐疑の目を向ける。
それらはいずれも聞くべき説得力を持っているように思えた。
しかし僕はあの日「何が起こったのか」について、ついに確信できるには至らなかった。
これまで以上に事態は混沌として見えた。

ただ一つ、この映画を観て僕が確信していいのではないか、と思えることがあった。
それは「何が起こったのか」についてではなく、「何が起きなかったか」についてだ。

あの日、ペンタゴンにB757は突っ込まなかった。

それだけは確かに思えた。
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