マイ・ライフ、マイ・ファミリー

2007年のアメリカ映画「マイ・ライフ、マイ・ファミリー」(タマラ・ジェンキンス監督)を観た。
フィリップ・シーモア・ホフマン追悼第2弾である。
まあ、こういう機会がなければ観ないタイプの映画である。

とりあえず、このひどい邦題には文句を言ってもいいのではないか。
そもそも「マイ」と言ってるのが誰なのかすら分からない。
原題は「The Savages」。
「サヴェージ家の人々」で、たぶん「野蛮人たち」という意味を兼ねている。
物語は、ラリー・サヴェージという老人が認知症になるところから始まる。
その子どもであるジョン・サヴェージとウェンディ・サヴェージの兄妹がしばらく音信不通になっていた父の元を訪れる。
この3人が「The Savages」ということになる。
父親以外は野蛮人てほどじゃないのだけど、虚飾をはぎ取った人間、くらいの意味でかけているんだと思う。

ラリーは恋人と暮らしていたのだが、その恋人が死んでしまい、住むところがない。
兄妹は父のために老人ホームを探す。
なんだかこの間観た「しわ」のようだ。
そしてこの話は僕にとってはかなり身につまされるところのある映画なのである。

ラリーはかなり暴力的な父親だったらしく、その父に対する愛憎がメインになるのかと思ったのだがそうでもない。
むしろ父の面倒を見るために再会することになった兄と妹の関係に焦点が当てられている。
兄を演じているのがフィリップ・シーモア・ホフマン。
妹がローラ・リニー。
兄はブレヒトの研究をしている大学教授で、妹は派遣の仕事をしながら戯曲を書いている。
演劇と言う共通項を持つ二人なのである。
兄にも妹にも恋人がいるのだが、それぞれに訳ありである。
その辺りはかなりリアルで、美化されていない。
二人とも中年と言っていい年齢であり、若くはないがかと言って人生を諦めてもいない。
ますます身につまされる。

フィリップ・シーモア・ホフマンの演じる大学教授は、少々だらしなくてコレステロール値が高くて運動不足だ。
その辺もさらに共感を呼ぶわけだが、ホフマンはその役をとてもチャーミングに演じている。
インテリジェンスは感じさせるが、嫌みがない。
ホフマンが恋人の作る卵料理を食べて泣くシーンがすごくいい。
情けないんだけど憎めないキャラクター。

決して暗い映画ではない。
避けられない人生の面倒事を暖かく描き出した作品。
ラストは意外なくらい前向きで爽やか。
好んで観るタイプの映画ではないけど、いろいろと今の自分と符合することが多くて共感するところが多かった。

ところで、老人ホームの看護師がみんなアフリカ系なんだけど、アメリカの看護職ってそうなのかね。
ナイジェリア出身の看護師がすごくいい奴なんだけどね。
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日本の漫画映画の誕生と発展

この間テレビをつけたらたまたま『機動戦士ガンダム」、いわゆるファースト・ガンダムをやっていた。
当時はすごくよく出来ている気がしたんだけど、今見るとかなりちゃちい。
僕が子供の頃、60年代、70年代のテレビアニメはほとんど今見ると技術的にかなり拙かった。

今の子がその時代のアニメを見たら、昔はやっぱり技術も拙かったんだなあ、と思うだろう。
技術が進歩して、昔は単純で稚拙だったアニメも今は洗練された世界に誇れるクールなアニメになったと思うかもしれない。
しかし、歴史というのはそんなに単線的なものではないのである。

国立国際美術館で「日本の漫画映画の誕生と発展」という上映会をやっていたので観にいった。
3日間でAプログラムからGプログラムまで、時代順に7プログラムあったのだが、「国民の映画」と重なっていたCプログラム、Dプログラム以外の5プログラムを観た。
充実したラインアップで、しかも只だったのだ。

Aプログラム、Bプログラムは日本の漫画映画の興隆期の作品。
1917年の「なまくら侍」が最も古く、そこから1930年代までの短編作品。
さすがに技術的にも単純なのだが、今観てもなかなか楽しい。
大藤信郎賞というアニメーションの賞があるが、その大藤信郎の作品がまとまって入っていた。
ディズニーに憧れていたそうだが、作品はむしろ日本独自のスタイルを模索しているように思えた。
アニメと実写の合成というような先駆的な仕事もしている。
村田安司という作家は初めて知ったが、絵が達者で面白い。
日本の漫画映画に影響を与えた海外作品も参考作品として上映されていたのだが、エミール・コールの「ファントーシュたちの恋のさやあて」(1908年)が観れたのが嬉しかった。
昔「ファントーシュ」というアニメーション雑誌があった。
ここから取られた名前なのだ。

C、Dを飛ばしたので、次はいきなりEプログラム「1940年代:ある頂点」に。
この間の技術的な進歩がすごいのだ。
4本上映されたのだが、中でもやはり政岡憲三の「くもとちゅうりっぷ」(1943年)の完成度は素晴らしい。
しかもデジタル修復版で、音も画像もクリアなのだ。
昔一回観ているのだが、今回デジタル修復版で観て改めてこれはすごいと感心した。
素晴らしく繊細で奥行きのある画面。
滑らかな動き。
叙情とユーモア。
1943年という戦時中にこれほどのものが作られていたのは驚異的だ。

そして次がFプログラム「1940年代:戦時体制下のプロパガンダと長編の試み」。
長足の進歩を遂げた日本のアニメーションだが、戦時中はその技術はプロパガンダとして使われることになる。
Aプログラムで楽しい作品を作っていた大藤信郎もEプログラムで繊細な影絵アニメーションを作っていた荒井和五郎・飛石沖也も戦争プロパガンダ映画を作っている。

中でもEプログラムの「アリチャン」の可愛さが印象的だった瀬尾光世の二本の漫画映画「桃太郎の海鷲」、「桃太郎/海の神兵」は観ていて実に複雑な気持ちになった。
一作目の「桃太郎の海鷲」は、アメリカ兵を鬼が島の鬼に見立て、桃太郎率いる猿隊、犬隊、雉隊の奮戦をいかにも「漫画的」に描いた作品。
すごく楽しい作品なのだが、もちろん子どもたちに戦争プロパガンダを植え込むために作られた作品だ。
二本目の「桃太郎/海の神兵」はずいぶん雰囲気が違う。
74分と言う当時としては画期的な長編作品である。
物語は故郷に帰った猿や犬たちの描写から始まる。
のどかな田舎の風景の中で弟たちに飛行機乗りの魅力を語る猿たち。
動物の姿はしているが、描写はリアルで叙情的だ。
優しい兄としての兵隊の姿がそこでは描かれる。
その後、舞台は南洋に移り、兵隊たちと島民(これも動物の姿で表現されている)がいっしょに働いたり、日本語教育をしたりするところが描かれる。
これも非常にのどかで楽しい雰囲気で描かれる。
また、兵隊たちの軍隊生活もかなりディテールまで描き込まれている。
もちろん理想化され美化された日本軍のイメージだ。
この長編作品のほとんどは、戦闘シーンではなく、兵隊たちの日常の描写なのである。
しかもそれがとてもよく出来ている。
最後に鬼たちとの戦闘になるのだが、鬼(アメリカ兵)はみんなへなちょこで簡単に無条件降伏してしまう。
ここで映画は一気にリアリティを失う。

この映画が作られたのが1945年という戦争末期であることを考えると、こののどかで美しい楽天的な映画の皮肉さが際立つ。
プロパガンダという形でしか作品を作れなかった時代の、これは悲劇と言っていい。
手塚治虫が当時この映画を観て感動した、というエピソードがあっても、この映画が巨大な虚無の上に立てられた幻に過ぎないという事実は消えない。

最後のFプログラムは「1946年:敗戦後の復活」。
敗戦の翌年に日本の漫画映画は早くも復活する。
政岡憲三、大藤信郎が充実した魅力的な作品を作っている。
政岡憲三の門下生である熊川正雄の「魔法のペン」は焼け野原の東京を舞台に、新聞配達をする少年を主人公にした作品だが、この作品の中には復興した東京の幻想が描かれる。
それがよくある「昔の未来図」のような荒唐無稽なものではなく、本当に現代の東京のように見えるリアルなものなのだ。
おそらく、海外の建築雑誌等を参考にしてこのイメージを作ったのだろう。
この時代にここまで未来を現実的に思い描いていたことに驚く。

日本のアニメーションは1940年代にはかなりの高みに達していた。
「鉄腕アトム」に始まるテレビアニメはそのレベルをいったんひどく引き下げてしまうのだ。
結果としてテレビアニメという過酷な環境の中で鍛えられた日本の技術が今のアニメの隆盛につながったと言えるかもしれない。
でもその過程で失われたものも大きかったのだ。

国民の映画

昔、ナチスの幹部たちを一人ずつ描いた海外ドキュメンタリーを見て、みんなそれぞれにキャラが立っていることに感心した。
ヒトラーという人物には安易な理解を拒むところがある。
それに比べるとナチスの幹部たちはまだ理解しやすい。
そして一人一人が実に個性的で、ある意味魅力的でさえあった。
中でも宣伝大臣ゲッベルズには興味を引かれた。

三谷幸喜さんがそのゲッベルズを主人公にした舞台をやるというので、観にいった。
実は再演なのだが、知らなかった。
たまたまこの間三谷さんの映画「清須会議」を観て面白かったので三谷さんのことが気になっていて、そんな時にこの「国民の映画」に出演している秋元才加さんのインタビューが京都新聞に載ったのである。
ちなみにAKB48も全然知らないので秋元才加さんのことも、名前は聞いたことある、くらいのレベル。

映画好きだったゲッベルズが、自宅に著名な映画人を招いてパーティをする。
その顛末を描く一幕ものの舞台。
ヨゼフ・ゲッベルズを小日向文世さん、映画に全く興味のない親衛隊隊長ハインリヒ・ヒムラーを段田安則さん、尊大で芸術好きなモルヒネ中毒の空軍元帥ヘルマン・ゲーリングを渡辺徹さんが演じている。
映画人は名優エミール・ヤニングスを風間杜夫さんが演じている他、映画監督レニ・リーフェンシュタール、作家のエーリヒ・ケストナーらが登場。
秋元才加さんは新人女優のエルザ・フェーゼンマイヤーという、これは架空の人物(モデルはあるそう)。
そして、これも架空の人物である優秀な執事フリッツがキーパーソンになっている。

全部で12名の人物が登場するのだが、さすがに三谷幸喜さん、それぞれのキャラクターを実に魅力的に描き分けている。
段田安則さんのヒムラーが特にいい。
ドキュメンタリーで見たヒムラーは、その悪魔的な所業と裏腹にどちらかと言うと小役人タイプの男である。
段田さんのヒムラーは、園芸が趣味で極度の猫舌で冷めたホットミルクが好きで、しかし底に冷酷さを秘めたキャラクターだ。
舞台は全体としてはコメディの味付けで、ヒムラーもすごくおかしいのだが、それでいてヒムラーと言う人物の不気味さも十分醸し出している。
渡辺徹さんのゲーリングも魅力的。
尊大だがユーモアに溢れた人物として描いている。
けっこういい奴に見える。

小日向さんのゲッベルズは、どこか劣等感を抱えながらそれを打ち消さんがために自分を大きく見せようとしているような人物。
神経質で臆病なのだが、それでいて高慢。
映画が好きで、「風と共に去りぬ」を越えるような映画を作りたいと夢想している。
そして、それを実現するための権力を彼は握っている。

理想の夫婦を演じているが実はすっかり関係の冷めている妻マグダと、新しい愛人エルザ、昔からゲッベルズと親しく交わりながら一線を引いているレニなど、女性たちの関係もスリリングに描かれている。
秋元さん、名優たちの中でかなりがんばってました。
十分存在感あった。

物語は登場人物たちそれぞれの思惑が複雑に交差しながら、笑いを織り交ぜて展開していく。
そして終盤になって、「ユダヤ人問題の最終的解決」の話がいささか唐突に出て、そこからそれぞれの決断がある。

ナチスという暗い闇にも中に分け入ってみればそこに人間的なドラマがある。
そのある意味で普通の人間たちが時代の中で巨大な悪をなす。
微視的視点の面白さで引っ張っていって、最後に俯瞰した時に見えてくる埋めようのない空虚さ。
面白うてやがて恐ろしき舞台。

神話の地と生賴範義さん

生賴さんの「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」のポスター風にしてほしい、と恩田さんが言ってるんですが、出来ますか?

数年前、「S-Fマガジン」の塩沢さんからそう言われた。
恩田陸さんの「ロミオとロミオは永遠に」が早川Jコレクションに入る時の装丁の話である。
むちゃぶりもいいところだ。
言下に答えた。

やります。

S-Fマガジン連載時からイラストをつけていたのだ。
今さら他人に渡すわけにはいかないのである。

早速「帝国の逆襲」のポスターが表紙に使われた文庫本を入手して、それを拡大コピーして模写した。
四苦八苦してラフを描き上げ、かなり時間をかけて大型のキャンバスに描いた。
自分的にはがんばったと思うのだが、あとで創元の小浜さんに、全然違う、と言われてへこんだ。
そりゃ付け焼き刃で描ける絵じゃないっすよ。
まあ、恩田さんが気に入ってくれたみたいなのでよかったが。

生賴範義さんの絵を初めて意識して見たのは、中学の頃に読んだ平井和正さんのウルフガイ・シリーズのイラストだと思う。
かっこよかった。
表紙と口絵のカラーイラストもよかったが、中イラストのモノクロのものも印象に残っている。
肉感的な女性の絵がエロかった。
角川の小松左京さんの表紙も生賴さんだった。
スターログという雑誌で特集をやっていたのを見てファンになった。
僕の世代で同じ道を辿った人は多いと思う。
あ、ちなみに読みは「おうらいのりよし」です。
若い人のために言っておくと。

その生賴範義さんの個展が宮崎アートセンターというところで開催されるというので、それはなんとしても行かなくては、と思ったのだ。
知らなかったけど、生賴さんは宮崎在住の人なのである。
まあ、いつものように飛行機と宿の予約は実駒がやったんだけど。

そんなわけで、3月11日、震災3年目の日を僕は宮崎で迎えた。
生賴さんが表紙を手がけた書籍がタワーのように展示されている部屋で黙祷した。
館内アナウンスで黙祷を呼びかけていたのだ。

会場に入ると最初に目に入るのは生賴さんの自画像。
ペン画なのだが、よく見るとボールペンである。
それからゴジラシリーズのポスターの原画だ。
すごい迫力だ。
食い入るように見る。
それから小松左京さん、平井和正さんの本の表紙。
平井さんのは幻魔大戦が中心。
ウルフガイ・シリーズがほとんどなかったのが残念だけど、幻魔大戦の華麗なイラストも素晴らしい。

ゲームのイラストはほとんど初めて見るものばかり。
歴史上の人物を雄渾なタッチで描いた作品。
「宮本武蔵」のペン画も多数あって、興味深く見た。

会場は5階がエントランスになっていて、その後4階に移動。
おお、「SFアドベンチャー」の表紙原画がずらり!
生賴さんの描く女性は迫力あるなあ。
このシリーズは生賴さんの中でもかなり力入れてたシリーズなんじゃないかと思う。
一点一点凝ってる。
4階には、他に力の入った第二次大戦の絵も多数。
亡くなったY君が好きそうな絵だ。

圧倒的なデッサン力。
雄渾にして繊細なタッチ。
魔術的な色彩感覚。
斬新なアイディア。

生賴さん、やっぱりすげえな。
宮崎まで来た甲斐があった。
結局滞在中に二度見にいった。

せっかく宮崎まで来たので、一日は高千穂の天岩戸神社や天安河原に行き、もう一日は西都原(さいとばる)古墳群を見にいった。
今ちょうど古事記を勉強し出しているので(ほんのちょっとかじっただけだけど)、その舞台とされている場所を見るのは興味深かった。
西都原は、この間読んだ安彦良和さんの「ナムジ」「神武」では邪馬台国のあった場所ということになっている。
邪馬台国かどうかはともかくとして、自転車でゆっくり回って2時間ほどで回れる中に大小の古墳が群れをなしていて見応えある。
全体が公園のようになっていて自転車で走ると気持ちがいい。
宮崎へ行かれるのでしたら、ぜひ。
神話の地で生賴さんの絵を見ることが出来たのは本当に幸せなことだった。

手塚治虫×石ノ森章太郎 マンガのちから

さて、もう一つは大阪歴史博物館の「手塚治虫×石ノ森章太郎」マンガのちから」展。
10日までなので、いつもながらぎりぎりの鑑賞。

手塚先生の原画は見たことがあったが、石ノ森先生の原画をまとめて見るのは初めて。
「サイボーグ009」や「仮面ライダー」「人造人間キカイダー」はもちろん、「佐武と市捕物控」や「ジュン」の原画が見れたのはうれしかった。
「009ノ1」や「さるとびエッちゃん」や「HOTEL」もある。
有名な肉筆回覧誌「墨汁一滴」も展示されていて、一巻分は、等倍で印刷されたものを読むことが出来る。
デビュー作の「二級天使」の原画もある。
紙がかなり茶色く変色している。

手塚先生では、小学校の頃に描いたという鉛筆描きのマンガが貴重。
開いたページしか見れないのが残念。
「火の鳥 黎明編」冒頭部分や「ジャングル大帝」の有名な動物オーケストラの見開きも見応えがある。
「ザ・クレーター」や「やけっぱちのマリア」が展示されているのもうれしい。
「アドルフに告ぐ」や「陽だまりの樹」など後期の作品の原画は初めて見る。
ただ、どの作品も4ページ程度しか展示されていないので、大友さんのGENGA展みたいにびっしり展示すればいいのに、と思っていたら、後半に「ブラック・ジャック」の「二度死んだ少年」が全ページ展示されていた。
やっぱりマンガの展示はこうでないと。

正直言うとマンガというのはあまり展示向きではないと思うし、僕は原画展というものにさほど価値を感じない方なのだけど、さすがに手塚治虫と石ノ森章太郎の原画がずらっと並んでいると壮観である。
つられて、ミュージアムショップで、石ノ森章太郎先生の「ジュン」シリーズ全5巻完全復刻版思い切って買った。
買おう買おうと思いつつ、いいお値段なので延び延びになっていたのだ。
持っているのとだいぶかぶってるし。
石ノ森先生はカラーもいい。

手塚先生と石ノ森先生は僕にとっても原点なので、ちょっと初心に返った。
手塚先生と石ノ森先生の爪の垢なら、お金払って買ってもいい。

アンドレアス・グルスキー展

昨日は展覧会をはしごしたのだ。

一つ目は国立国際美術館でやっている「アンドレアス・グルスキー展」。
写真作品である。
しかもほとんどは巨大な作品だ。
例えば、「ツール・ド・フランス」という作品がある。
有名な自転車レースが題材だが、自転車で走っている競技者はよく探さなければ見つからない。
画面上方に青い空があり、その下には山肌の黄土色と草の緑のコントラスト、そこに緑色の三角形がリズミカルに配置されている。針葉樹である。
その山肌にジグザグの線が引かれ、その線に沿って、小さな色点が置かれている。
道路と、その沿道の見物客である。
アクセントのように原色の車がいくつか配置されている。
よく探すと自転車にのった一群がいる。

グルスキーの写真は色とフォルムに注意してみると、一種の抽象画のように見える。
近くに寄ってよく観ると、細部までピントが合っているので、思いがけず生な人物たちが写っている。
そこに新鮮な驚きがある。

「香港、上海銀行」は夜の銀行を離れたところから写している。
無数の窓は全て明かりが灯っていて、よく見ると中で働いている人たちが写っている。
昔、大友克洋さんのある作品で、ビルの絵の窓一つ一つに部屋の内部が描いてあるのを見て驚愕した記憶があるが、その写真版である。

濃紺に白い絵の具でしっぽの付いた円のようなものを描いていた抽象画のように見える写真がある。
絵の具は厚塗りで、立体感がある。
何の写真かと思って、タイトルを見ると「南極」とある。
南極の航空写真なのである。

「北京」と言う写真は、ロシアアヴァンギャルドか何かのような、白と黒と赤の、直線によるコンポジションで。
何かの建物の内部らしいが、その建物の本来の役目は分からない。
「カタール」は抽象画として見てもとても美しい作品。
小品だが「スキポール空港」という作品も印象に残った。
ガラス張りの室内から空港を撮っているのだが、飛行機は画面の端にほんの少ししっぽの部分らしきものが写っているだけで、がらんとした何もない空間の冷たい美しさがある。
かと思うと「シカゴ商品取引所Ⅲ」はアクションペインティングのような激しさだ。(ポロックの絵を撮ったらしき写真もある。)
「無題Ⅰ」は、多分無地のグレーの絨毯を撮った写真、画面は全体としてはただグレーのグラデーションだけの作品。
絨毯の継ぎ目らしき細い線が微かに見える。
しかし、何となく不思議な精神性のようなものが感じられる。

日本が誇るカミオカンデの写真もある。
本展覧会のハイライトと言っていい美しい作品だ。

同時開催のコレクション展にはグルスキーの師匠であるベルント&ヒラ・ベッヒャーの写真があるのでお見逃しなく。
僕は彼らの給水塔の写真集を持っている。

また同時開催の郭徳俊展は、京都生まれの現代美術家の作品展。
「TIME」などのアメリカの大統領とポートレイトと鏡に映った自分の顔を組み合わせた有名な写真作品をこの間京都市美術館で見たばかりだが、今回は主に60年代に描かれたドローイングとペインティング。
多分、フンデルトヴァッサーが好きな人は好き。
あと、ミロが好きな人も多分好き。
僕はかなり好きでした。


パイレーツ・ロック

3月の月極映画祭は、フィリップ・シーモア・ホフマン追悼特集である。
フィリップ・シーモア・ホフマンは去る2月2日、46歳の若さで亡くなった。
「25時」で最初に意識して、「その土曜日、7時58分」で感心させられた。
それほど多く彼の作品を見ているわけではないが、決して二枚目ではない彼が卓越して演技力で活躍しているのを、なんとなくアメリカの西田敏行みたいに思っていた。
正直、そんなに若いとは思わなかった。

今日観たのは2009年の「パイレーツ・ロック」。
原題は「THE BOAT THAT ROCKED」。

1960年代イギリスで24時間ロックを流し続けていた海賊ラジオ局を舞台にした映画。
そういう海賊ラジオ局が本当にあったらしい。
映画の中では、北海に浮かぶ船にDJ達が共同生活をしていて、そこからイギリスにロックとポップスを送り続けている。
タバコとドラッグで高校を退学になった少年カールが何故かそこで一緒に暮らすことになる。
どう考えても更生に向いた場所ではない。
酒とドラッグとセックスとロックンロール。
兄貴分的なDJの「伯爵(ザ・カウント)」がフィリップ・シーモア・ホフマン。

物語は、その船の奇妙な共同生活と、海賊ラジオ局を取り締まろうとする当局との攻防を、60年代ポップスに乗せて軽やかに描いていく。
当局の人たちは思いっきり擬人化され、自由なDJたちと頭の固い当局と言う図式はいささか簡潔すぎてリアリティーには欠ける。
でもそんなことはいいのだ。
これは、「イージー・ライダー」と「海底二万里」と「タイタニック」をミキサーにかけて作ったような大人のメルヘンなのである。

主人公達は最初から最後まで船の上にいる。
そこは一種のユートピアだ。
まるでノーチラス号のように。
ノーチラス号ほど禁欲的ではないが。
共同生活をしているDJたちはみんな一癖二癖ある個性的なキャラクターで、観ているうちにみんな友達みたいな気になってくる。
カリスマDJもいれば冴えないオタクもいる。
一人だけ女性が乗っているが、彼女はレズビアンだ。

時々別の船で女たちがやってきて、乱痴気騒ぎになる。
ハーレム状態を楽しんでいるもいるし、あぶれるのもいる。
主人公のカールは美青年なのだけど、非モテ組に入れられている。
そこがまた共感を誘う、

子供の頃、海賊船での生活に憧れたという人は多いんじゃないかと思う。
僕も「海賊王子」という石森章太郎原作のアニメが好きだった。
オープニングに胸が躍った。
今の子なら「ワンピース」か。
本当の海賊の生活がそんなに楽しいわけはない。
でも海賊という言葉には憧れを呼び起こす何かがある。
そんな海賊ファンタジーの醍醐味も味わえる。
フィリップ・シーモア・ホフマンの伯爵ともてもてカリスマDJギャバンの対決は中盤の見せ場。
後半、意外なほど本格的な海洋ロマンめいてくる。

最初から最後までずっと流れているロックやポップスがいいのだが、残念ながらストーンズ2曲とプロコム・ハルムの「青い影」とあと何曲かしか分からなかった。
この時代の音楽に詳しい人ならもっと楽しめるんだろうな。
お酒でも飲みながら、のんびり楽しみたい映画。

フィリップ・シーモア・ホフマン追悼特集は全4回の予定。
プロフィール

おがわさとし

Author:おがわさとし
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