ガタカ

おがわが勝手に決めたテーマでDVDを観る月極映画祭、今月は「観逃していたSF映画」特集。
3本目は1997年の「ガタカ」。
美男美女が出ているスタイリッシュなSF映画、くらいの情報しか持たずに観た。
公開時にちょっと興味を惹かれたのだが、観逃した。
以下ネタバレちょっとあり。

なんとなくオシャレなヨーロッパ映画のような気がしていたので、コロンビアのおなじみの自由の女神が出てきた時はちょっと驚いた。
れっきとしたアメリカ映画である。
監督のアンドリュー・ニコルは初めて。
音楽がマイケル・ナイマンで、オシャレさを際立たせている。

原題は「GATACCA」。
劇中に出てくる宇宙局の名前だが、GとAとTとCはDNAの4つの塩基である。
「GATACCA」と並べるとなんとなく塩基配列に見える。
オープニングのキャストやスタッフの名前でもその4つの文字が強調されている。

生まれてくる子供の遺伝子を操作することが当たり前の未来、自然出産で生まれてきたビンセント(イーサン・ホーク)が主人公。
自然出産のため、遺伝的欠陥を複数持ち、この社会では「不適正(INVALID)」とみなされている。
そのビンセントが宇宙への憧れから、遺伝的には完璧なのだが、事故で下半身不随になったジェローム(ジュード・ロウ)になりすます。

このなりすましが、なんというかかなり雑な感じである。
まつげ一本で個人が特定されてしまう高度情報化社会にしてはかなり原始的な方法のなりすましだ。
第一顔が違うのだ。
バレんわけないと思うのだが。
その後の展開も、スタイリッシュな映像のわりにかなりベタな展開である。
SFとして観るとちょっとつらい。
遺伝子で全てが決定されている社会を描けているかというとそこも甘いと言わざるをえない。

ヒロインがユマ・サーマンで、このスタイリッシュな映像に負けないさすがの美しさなのだが、今ひとつドラマの中での存在感が薄い。
どちらかと言うと、イーサン・ホーク、ジュード・ロウにビンセントの弟を演じたローレン・ディーンを加えたイケメン三人の、秘密を共有したちょっとエロティックな関係性を描いた映画、という方が当たっているかもしれない。
特にジュード・ロウのイケメンぶりは「町でうわさの天狗の子」の岩本ナオさんも絶賛してるとおり。
少し邪な眼で観るのが正解の映画だと思う。

エリートへのなりすまし、という意味では「太陽がいっぱい」を連想させるところもある。
「太陽がいっぱい」に比べるとだいぶ大味だが。
個人的には清掃人のチーフを往年の名優アーネスト・ボーグナインが演じていたのが拾い物。


次回は「月に囚われた男」。
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マンデラー自由への長い道ー

「マンデラー自由への長い道ー」を観た。
ネルソン・マンデラの自伝を元にした映画である。
実話系の映画はあまり観ないのだが、マンデラは特別である。
去年の12月にマンデラの訃報が伝えられたあと、原作である「LONG WALK to FREEDOM」をペーパーバックで買った。
日本語訳も出ているのだが、これは本人の言葉で読みたいと思ったのだ。
しかし実はまだ読み始めてもいない。
で、映画の方を先に観ることになった。

原作との比較はできないが、マンデラを必要以上に美化したり理想化したりしていないという印象を持った。
特にこの映画はマンデラと妻との関係にかなり焦点を当てている。
マンデラは三度の結婚をしているのだが、一人目と二人目の妻との関係が映画では描かれる。
一人目の妻とは、人権活動に奔走して家にも帰れない状態が続いた末離婚している。
息子のテンビは後にロベン島に投獄されている間に事故で亡くなる。
人間マンデラの苦悩が伝わるシーンだ。

二人目の妻のウィニーについては、この映画のもう一人の主人公と言っていいくらい大きく描かれている。
マンデラとウィニーの愛と別れがこの映画の主題の一つと言っていい。
ウィニーは夫マンデラが投獄されたあともマンデラの妻として反アパルトヘイトの運動に深く関わる。
27年の長い東国生活のあとマンデラが釈放された時には二人の政治的な姿勢には大きな隔たりが出来ていた。
その隔たりが二人の行く道を分ける。
自分を苦しめてきた敵を赦すことを選ぶマンデラと、戦いの道を選ぶウィニーと。

マンデラとデクラークら白人政治家たちとの関係も興味深い。
黒人の復讐を恐れる白人政治家たちの恐怖に理解を示し、しかし白人政治家に利用されることは周到に避ける。
この現実感覚がアパルトヘイトを終わらせたのだというのがよく分かる。

今日から原作も読みます。
読み終わるのいつになるか分からないけど。

東宝特撮ナイト第8夜(「キングコング対ゴジラ」と「マタンゴ」)

東宝特撮映画を公開順に観ていく東宝特撮ナイト、第8夜は1962年公開の「キングコング対ゴジラ」と1963年公開の「マタンゴ」。
共に本多猪四郎監督作品ながら、趣は正反対と言っていいほど違う。

「キングコング対ゴジラ」の公開は1962年8月だから、僕が生まれた翌月である。
ほぼ同世代といっていいこの映画なのだが、僕は今ひとつ乗れないのである。
この映画は東宝30周年記念作品ということで大作感もあり、バラエティ豊かな娯楽作なのだが、いかにもファミリー映画然とした映画で、今ひとつ緊迫感がない。
この映画のゴジラは顔が小さくて顔立ちも爬虫類的でシャープなかっこいい造形なのだが、キングコングの方にはあまり魅力を感じない。
元々怪獣には人間から遠いものを求めているので、猿の怪獣に点が辛いというのもあるのだが、オリジナルの「キングコング」は好きだ。
やっぱりこの映画のキングコングの造形がピンと来ないんだと思うなあ。
腕の長さが度々変わるのも気になる。

有島一郎、高島忠夫、藤木悠のパシフィック製薬宣伝部三人組はいかにもテレビ時代の申し子という感じで、この時代としては新しいトレンドだったんだろう。
ちょっと調べてみたら、日本のテレビ元年は1953年で、テレビが一般家庭に普及しだしたのは1959年の明仁親王御成婚パレードから。
1960年にカラー放送が始まっている。
1964年の東京オリンピックでカラーが普及したそうだが、それよりだいぶ後までうちは白黒だった。
映画の中でパシフィック製薬がスポンサーをしている「世界驚異シリーズ」はカラー番組だが、当時は白黒で観ていた家庭の方が多かったんだと思う。

この映画で、北極海の氷山からゴジラが出現するのは前作の「ゴジラの逆襲」でゴジラが氷に閉じ込められるのを受けているのだと思い込んでいたのだが、改めて観るとそうは言ってないな。
とすると「ゴジラの逆襲」のゴジラとこの映画のゴジラはまた別の個体なのかな。
耳ないしな。
あと、この頃の映画で、古代のハスが花をつけた話がよく出てくるけど、これは1952年に花を咲かせた大賀ハスというもののようだ。
この映画では平田昭彦の重沢博士は「3000年前のハス」と言ってるけど、ウィキペディアによると「2000年以上前」だそう。
なんにしてもロマンのある話には違いない。

あと本筋と全然関係ないけど、この映画で浜美枝と若林映子が共演している。
この二人は1967年の「007は二度死ぬ」のボンドガールである。
実は1962年は映画の007シリーズ第1作の「007 ドクター・ノオ」が公開された年でもある。
5年後に二人ともボンド映画に出るなんてこの時は誰も想像できなかったろうな。
とか考えるとちょっと楽しい。

翌年の「マタンゴ」は全く雰囲気が違う。
この映画の魅力は第一に霧の晴れることのない名もない孤島のイメージだ。
鳥も寄り付かない呪われた島、という設定が魅力的。
そこに漂着した男女7人が互いのエゴイズムをむき出しにしていく展開もいい。
いつもは好青年の佐原健二や小泉博さえ例外ではない。
土屋嘉男はいつもの感じだが。
水野久美が妖艶。
その過程が執拗に描かれているからこそ、あのキノコ人間のイメージが馬鹿馬鹿しいものにならないでいるのだ。
そして最初と最後の精神病院のシーンも実に印象的。

この映画が公開された1960年代前半といえば、イギリスのハマー・プロダクションのホラー映画が人気だった頃じゃないかと思う。
テレンス・フィッシャーが1957年に「フランケンシュタインの逆襲」を1958年に「吸血鬼ドラキュラ」を発表して、ハマーが次々にモンスター映画を作っていた時期である。
この映画にもハマー・ホラーを思わせる雰囲気がある。
音楽もハマーっぽい。
しかし極限下での人間のエゴイズムを容赦なく描いている点では、むしろ1968年のジョージ・A・ロメロ監督「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」を先取りしているとも言える。
この映画が公開された1963年は奇しくも「吸血鬼ドラキュラ」の1958年と「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」の1968年のちょうど中間の年である。
そういう意味では新旧のホラー映画の流れの中間点にある映画と言えるかもしれない。
今観ても十分面白いです。

次回は「海底軍艦」と「モスラ対ゴジラ」。

レッド・プラネット

6月の月極映画祭のお題は「観逃していたSF映画」。
2回めは2000年の「レッド・プラネット」。
監督はアントニー・ホフマンという人。

観逃していた、と言うか、この映画については公開時の記憶が全くない。
日本での公開は2001年の1月というから、僕が今の大学に勤めるちょっと前。
お金がなくて、映画を観るのを控えてたのかもしれない。
よく覚えてないけど。
この映画はたまたま某大型中古書店でDVDを見つけて、こんな映画があるのか、と思った程度。
そんなわけで大した期待もせずに観た。
以下ネタバレあり。

ヴァル・キルマーといえば僕にとってはオリヴァー・ストーン監督の「ドアーズ」でジム・モリソンを演じた人だが、この間たまたまテレビで最近の写真が出ていてすごく太っていたのでびっくりした。
まあジム・モリソンも長生きしていたら太ってたかもしれないが。
そのヴァル・キルマーと「マトリックス」でトリニティーを演じたキャリー=アン・モスが主人公。
他にテレンス・スタンプなどが出てくるが、登場人物はほぼ6人だけである。

21世紀の中頃、地球が汚染されたので人類は火星をテラフォーミングしようとする。
火星に藻を繁殖させて最初は上手くいっていたのだが、何故か途中から酸素濃度が下がってしまう。
その原因を探るために有人宇宙船で6人のクルーが火星に向かう。
というようなことをキャリー=アン・モスのナレーションで冒頭長々と説明する。
あまり上手いやり方ではない。

最初に地球の影から太陽が出てくるシーンが有り、キャリー=アン・モスの船長役の名前はなんとボーマンである。
いや、いくらなんでも「2001年宇宙の旅」の影響受けすぎだろう。
「2001年」の影響を受けたとおぼしいシーンは全編に散りばめられている。
しかしそれだけに映像はなかなか本格的だ。
例えば宇宙船内の重力にしても怪しげな重力発生器ではなく、「2001年」みたいに回転で生み出している。
なんでもないことだが、案外そんなSF映画は少ない。

火星に到着する直前にフレア・バーストを受けて宇宙船は大破。
かろうじて船長以外の5人が火星に不時着、ボーマン船長は宇宙船に留まる。
そこからのサバイバル劇が本筋で、「月は地獄だ」以来の古典的テーマである。
いや、もっと古いのあるかな。
あるだろうな。

話は地味だし、展開も先が読めてしまう。
でも僕はけっこうこの映画は拾い物だと思った。
「2001年宇宙の旅」ほど深遠ではないし、「ゼロ・グラビティ」ほどの迫真性はない。
でも「2001年」と「ゼロ・グラビティ」の間でこれほど科学的な考証のきちんとしたSF映画を他に知らない。
20世紀の終わりにこんなまっとうな火星SF映画が作られていたとは知らなかったよ。
火星についての情報はもうすでに古くなってるけど、志は買いたい。
細かいギミックなんかもよく出来ている。
HAL9000的なロボットも出てきて、これはまあお約束だからなあ。
火星探査用のロボットに対ゲリラ用戦闘モードが仕込まれているのはなんでやねん、とは思うが。

この映画ではキャリー=アン・モスのボーマン船長がかっこいい。
「2001年」は女っ気のない映画だったからなあ。
「エイリアン」以降はSF映画も女性の時代ですよ。
テレンス・スタンプは意外に地味な役だったけど、さすがに存在感がある。

来週は「ガタカ」。

高橋秀展

今年は馬鹿みたいなペースで展覧会を見に行っているのだ。
京都市美術館の「作家の眼 高橋秀ー気への形象」展も、高橋秀という作家についてなんの予備知識もなく見に行った。
ポスターのちょっと琳派っぽい感じが気になっていたのだ。
日曜だったのだが、人は少なくゆっくり見れた。

最初の部屋に最近の大作作品が展示されているのだが、日本的なモチーフを扱っていながら現代的で、雄大かつエネルギッシュ。
圧倒された。
進んでいくと、70年台、80年台の作品も展示されているのだが、こっちはちょっとエロいな、と思ったら、もともと高橋秀といえばエロスの作家だったらしい。
エロスと言っても、とてもシンプルで抽象的な図形の組み合わせなのだが、そこに上品なエロスが感じられるのだ。

手元の図録と会場で流されていた映像を元に簡単に紹介をすると、高橋秀さんは1930年生まれの広島出身の画家。
1961年に安井賞という新人に与えられる大きな賞を受賞したあと1963年にイタリアに移住、ローマで作家活動を続ける。
2004年帰国。
ローマ時代は日本的なものを意識的に廃していたそうなのだが、帰国後こだわりが取れ、琳派的な画風を解禁した、ということらしい。
いろいろ大きな賞を取っている人なので、知らないお前が無知なんだよと言われたら、まあそうですよ、というしかないのだが。

知らなかったものは仕方ないのだが、僕はいたく高橋秀という作家に惹かれたので、図録も京都市美術館が出しているものの他に、岡山県立美術館でやったときのものと版画作品だけを収めたものと三種類全部買った。
6月22日までなので、京都近辺にお住まいの方はバルテュスの前にこちらもぜひチェックしてみてください。

仏像めぐり

先月、今月と仏像とかそういう関連の展覧会を続けて見た。
行ったのは以下の展覧会。

「鎌倉の仏像 迫真とエキゾチシズム」 奈良国立博物館
「山の神仏 吉野・熊野・高野」 大阪市立美術館  
「チベットの仏教世界 もうひとつの大谷探検隊」 龍谷ミュージアム
「南山城の古寺巡礼」 京都国立博物館

元々仏像に興味があったというわけでは全然ないのだけど、日本の美術をちょっと勉強したいと思って、それなら仏像も見とかなきゃ、くらいの感じである。

奈良国立博物館の「鎌倉の仏像 迫真とエキゾチシズム」は美術的には一番見応えがあった。
鎌倉時代の彫刻というといわゆる慶派のリアリズム彫刻である。
いや、実はそんな詳しくない。
ちょっと知ったかぶりした。
円応寺の初江王坐像というのがすごい迫力だった。
鎌倉国宝館の十二神将像もかっこいい。
信仰心のある人間ではないので、穏やかな如来像とか阿弥陀像とかより激しい動きのあるものの方が面白い。
まあ初心者の言うことですから。

奈良国立博物館のあと、同じ日に大阪市立美術館の「山の神仏 吉野・熊野・高野」を見に行った。
奈良と大阪なら一日で回れるもんだな。
こっちは仏像より神像に興味があった。
日本の神様は元々は特定の姿を持たなかったのが、仏像の影響で神像というものが作られるようになったそうである。
神像と言っても、神仏習合が日本の伝統なので、そこはあんまり区別が無かったりするのも面白い。
なんとか曼荼羅図という、神様仏様がずらっと並んだ図を見ると、ウルトラ兄弟勢揃いとかそういうのを連想する。
ウルトラマン創世記展の時に、ウルトラマンが仏だと書いたけど、逆も言えるのではないのか。
神様仏様は自分たちを助けてくれるヒーローで、何よりキャラクターだったんじゃないかと思う。
鎌倉の仏像に比べるといかにも素朴な造形の仏像神像や曼荼羅図を見ていると、日本のキャラクターアートの源泉を見ている気がした。

龍谷ミュージアムの「チベットの仏教世界 もうひとつの大谷探検隊」は同じ仏教美術と言ってもずいぶん趣が違う。
まず素材だが、日本だとまず一番に木なわけだけど、チベットでは木彫に適した木が少ないらしく、金属がメイン。
そしてどこかしらエロティックな感じが漂う。
日本の仏像にもエロティシズム漂うものがあるけど、そういう静的なエロティックじゃなくて、なんかもっと直接的に肉感的なエロティシズム。
会場でちくま学芸文庫の「チベット密教」という本を買って、今読んでるんだけど、チベット密教というのは実際かなり性的な要素が入った宗教なんだなあ。
ああ、AVとかでチャクラがどうこう言ってるのはこれが元なのか。
分かりやすくチベット密教の歴史と教義が書いてある本なので興味のある人にはおすすめ。

最後の京都国立博物館の「南山城の古寺巡礼」は地味なテーマだし、すいてるかと思ったらけっこう人が来ていて驚いた。
展示はわりと学術的でやっぱり地味なのだが、個人的には絵画作品より立体の仏像の方に興味がある。
かっこいい海住山寺の四天王像とか見れて満足。
そもそも南山城ってどの辺だよ、ってとこから分かってなかったのだけど、わりと行ったことあるところだった。

考えてみたら京都に住んでるわけだから、仏像なんか見放題なわけで、ちょっと寺廻りでもしようかな。
今まで秘仏公開とかもほとんど興味なかったんだけど、贅沢な土地に住んでるんだから見とかないと損だな。
とかちょっと思いました。

ひなぎく

さて、問題の「ひなぎく」である。
1966年のチェコスロバキア映画。
チェコスロバキアという国もなくなっちゃったね。
カルト的な人気のある作品で今まで何度か見る機会があったけど観逃してきた。
なんとなくオシャレな女の子映画というようなイメージだったのだが、観てみたら全然違った。
映像のテロリズムみたいな映画、
二人の女の子が主人公なのだが、脈絡なくシーンは飛ぶしストーリーなんてあるようなないような。
映像もカラーになったりモノクロになったり、モノクロの画面も赤や青や緑に着色されていたり。
まだCGもなかった時代にけっこう凝った映像がバンバン出てくる。
サイケデリック!
クライマックスはどこかのパーティー会場に入り込んでやりたい放題。
しかしラストはちょっと辛辣。

この映画をチェコスロバキア社会主義政権や当時のソビエト連邦(いわゆるプラハの春はこの2年後)や男性中心社会に対する批判と観ることは可能かもしれない。
でもそれではこの映画の魅力は半減してしまう気もする。
むしろ世界の意味そのものに反逆しているような潔さを感じる。
赤塚不二夫や永井豪のナンセンスなマンガの破壊力に通じるような。
ナンセンス、というものの持つ魅力をセンス(意味)に還元するのは野暮なんじゃないかと思う。
そんなわけで感想短めですが、すごく面白かったですよ。

ランナウェイ・ブルース

先日実駒と梅田紀伊國屋のゴーリー展を観に行ったあと、京都みなみ会館へ「ひなぎく」を観に行った。
「ひなぎく」は遅い時間からの上映で時間が空いたので、その前の「ランナウェイ・ブルース」という映画も観る。

この映画はほとんど予備知識無しに観たのだが、なかなか面白かった。
兄弟の話なのだが、兄貴の方がとことん運のない男なのだ。
早くに孤児になるのだが、二人ばらばらになるのがいやで汽車で逃げようとする。
ところが兄貴は走っている汽車に飛び乗ろうとして事故に会い右足を失ってしまう。
その兄貴が大人になって、車で少年をひいてしまって弟のところに転がり込むところから物語が始まる。
逃亡劇なのである。
邦題はそこから来ている。
ちなみに原題は「MOTEL LIFE」という素っ気ないタイトル。

ところで兄貴の右足は画面では確かに途中からないのだが、これCGなんだろうか。
下着のシーンとか見ると、特殊メイクだけでごまかすのは難しいと思うのだが。
それとも元から右足のない役者で、脚本が当て書きなんだろうか。
気になる。
パンフレットというのはそういう情報を書くべきものだと思うのだが。

弟はそんな運に見放された兄貴を必死で守ろうとする。
いや、そこまでせんでも、というくらい甲斐甲斐しい。
弟は子供の頃から物語を作るのが上手くて、兄貴にいろいろ話を作って聞かせる。
その物語が映画ではアニメーションで表現されるのだが、このアニメーションがなかなかいい。
兄貴は絵が上手いという設定なのだが、その絵柄がアニメーションの絵柄になっている。
青みがかった映像と全編に流れるブルース系の音楽も魅力的。

兄貴のジェリー・リーがスティーヴン・ドーフという人で多分両足ある。
弟のフランクはエミール・ハーシュ。
フランクの働いていた中古車屋のオーナーで良き相談役のアールはクリス・クリストファーソン。
すごくいい味出してます。
そして弟の元彼女がダコタ・ファニングである。
ダコタ・ファニング、もう20歳なのか。
びっくりだ。

そんなわけで唐突ですが、8月の月極映画祭はダコタ・ファニング祭です。
さっき決めました。

「女番長ゲリラ」プラスワン

ポルノナイトは東映ポルノプラスワン。
東映ポルノはまた鈴木則文監督で女番長シリーズ第3弾の「女番長ゲリラ」。
1972年公開作品。
ちなみに女番長は「スケバン」と読みます。

もう一本は「けっこう仮面3」。
まずはこちらから。
もう誰も覚えていないだろうし誰も気にしていないと思うが、僕は「けっこう仮面」の実写化作品全作を観るという無謀なタスクを自分に課しているのである。
「けっこう仮面」の実写化作品はオリジナルビデオで10作、劇場映画で1作の計11作ある。
今日観たのはそのオリジナルビデオの3作目で、秋元豊監督による最終作。
1993年作品。
これは初めて観た。

今回けっこう仮面は音楽の黛先生に恋をするという新機軸。
シリーズ3作目ということで、いろいろ工夫はされている。
高橋真弓は松本亜沙美という人だが、今回はその友人の三木村麻希(吉岡真由美)というキャラクターの方が目立っている。
黛先生とデートする約束をしているけっこう仮面の代わりに、けっこう仮面のコスチュームを着て現れるシーンもあるし。
もちろん役名は「デビルマン」の牧村美樹のもじりだ。
あと、仕置き教師にお仕置きされるのが好きというマゾっ子メグちゃんというキャラクターが異彩を放っている。
しかもマゾっ子メグちゃんこと的射めぐみを演じている人の名前は「高橋真由美」。
偶然なのかなこれ。
キューティーバニーとかスキ子姫とかオモロイとかビビルマンとか妖鳥チヂレーヌとか安走菊之助とか直次郎とかカシュラ男爵とかゲストキャラも多彩。
蛇足を承知で書いておくと、キューティーハニー、「ドロロンえん魔くん」の雪子姫、オモライくん、デビルマン、妖鳥シレーヌ、「あばしり一家」の菊之助、直次郎、「マジンガーZ」のアシュラ男爵のパロディ。
ダンディペアというブルース・ブラザーズみたいな二人組が出てくるんだけど、エンドクレジット見たら高千穂遙さんと漫画家の神崎将臣さんだったのでびっくりした。
緑色の髪の毛に虎のビキニのラメちゃんは一本木蛮さん。

それだけ多彩なゲストキャラクターが出てきて、面白いのかと言われるとこれがやはりかなり残念な感じである。
カシュラ男爵が右と左で痴話喧嘩するのがちょっと面白かったくらい。
けっこう仮面とチヂレーヌのキャットファイトなんかそれなりに見せ場なのに、中途半端だ。
クライマックスは7人のけっこう仮面が登場するという豪華さなのだが、どうにもテンポが悪い。
なぜワルツにする必要があるのか。

もやもやした気分を抱えたまま「女番長ゲリラ」を観る。
こっちは文句なしに面白かった。
またもや舞台が京都である。
京都、そんなに女番長の町だったのか。
しかも祇園祭の時期なのである。
山鉾も映っている。
八千代館は今回も映っている。
ついでに言うと「東映まんがまつり・へんしん大会」の看板も映っていて、メインの2本は「仮面ライダー対じごく大使」と「魔犬ライナー0011変身せよ」である。

主役は今回は杉本美樹で、池玲子は脇に回っている。
もっとも池玲子の存在感は圧倒的で、時に主役を食っている。
杉本美樹には池玲子のカリスマ性はないが、どこにでもいそうな女の子なのが逆に今回は生きている。
不良に絡まれた杉本美樹がツナギのジッパーを下げて左乳房の刺青を見せるシーンはかっこいい。
その後杉本美樹たちが男どもをぼっこぼこにするのである。

杉本美樹の役は幸子でその相手役の新人ボクサーが一郎である。
幸子と一郎でピンときた人もいるかもしれないが、そこにあがた森魚が本人役で出ているのである。
あがた森魚の「赤色エレジー」はこの二人をモデルにした曲だということになっているのだ。
林静一先生の立場は!と思わないわけではないが。
「明日になれば、朝になれば忘れられる」というセリフも大事なシーンで出てくる。
「昨日もそう思った」って言うかなー、と思っていたがそれはなかった。

鈴木則文監督の演出はキレがよく、エロシーンも今回はそれなりにある。
時代の魅力も感じさせ、なかなか楽しめた一本だった。

「けっこう仮面」もぬるいギャグなんかいらないから、アクションで魅せるべきだと思うんだけどなあ。
まだ先長いなあ。

来週は東宝特撮ナイト。

日本一の色男

火曜邦画劇場は「日本一の色男」。
火曜邦画劇場って僕が勝手に言ってるだけですよ。
テレビつけてもやってませんよ。
「昭和の爆笑喜劇DVDマガジン」Vol.6ということで、クレージー映画も6本目。
「日本一」シリーズの第1弾だそうである。
1963年7月の映画なので、僕はその頃1歳になるかならないか。

日本一の色男って言うくらいだから、いつもに増してお色気ムード満載。
団令子、草笛光子、白川由美、浜美枝、淡路恵子、藤山陽子に京塚昌子まで出てくる。
浜美枝はこの映画がクレージー映画初主演だそうで、すごくフレッシュ。
草笛光子に「アプレ」って言われる。
「アプレ」、さすがに言葉として使った記憶はないなあ。
「戦後派」のことです。
「アプレゲール」の「アプレ」。
どちらかと言うと東宝特撮映画での影のある役で馴染みのある白川由美の違う一面も。
京塚昌子の女政治家も貫禄十分でおかしい。

卒業式で女子高生が蛍の光を歌うしんみりしたシーンから一転植木等の登場で喜劇に変わる出だしが秀逸。
クビになった高校教師光等(ひかる・ひとし=植木等)を女子高生が追いかける。
何食わぬ顔で化粧品会社の面接にもぐりこむずうずうしさはいつもの無責任男だ。
直接的にエロティックなシーンがあるわけじゃないんだけど、けっこうきわどいセリフなんかもある。
由利徹がまたすんばらしい。
植木等はC調な中にも根は真面目な男を演じていて、これは「日本一」シリーズの基本性格らしい。
ラストもいい話に落とさないのがいい。

来週は吉永小百合の「愛と死の記録」の予定。
こっちは重そうだなあ。
プロフィール

おがわさとし

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