スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

バルテュスとうるし

「バルテュス展」と「うるしの近代」という全く違うタイプの展覧会を実駒とはしごした。
「バルテュス展」をやっている京都市美術館と「うるしの近代」をやっている京都国立近代美術館は通りをはさんだ真向かいなのである。

まず、バルテュス展。
バルテュスは扱う題材はショッキングだけど、技法はわりと古典的だと思ったら、若い頃はイタリア・ルネッサンスのピエロ・デッラ・フランチェスカの模写などを熱心にやっているのだった。
なるほど。
代表作の「美しい日々」や「夢見るテレーズ」などが予想していたより大きな絵でちょっと驚いた。
端正で緻密な構図なのに、どこかいびつな感じのする画面にはやはり謎めいた魅力がある。
小品だが「兄妹」とか「金魚」に描かれる子どものなんとも言えない不気味さもよかった。
あと、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」の挿絵というのがあって、言われないと「嵐が丘」とは分からないと思うのだが、非常にバルテュス的で魅力的である。
頭身の変な人物たちによる物語の一場面が荒いタッチで描かれているのだが、その只ならぬ感じが独特。
只ならぬ切迫感がありつつ、どこか滑稽さも漂う。
基本的に物語性の強い画家だと思う。

次に、通りを超えて「うるしの近代」展。
「京都、「工芸」前夜から」という副題がついていて、江戸時代から大正、昭和に至るうるし作品が展示されている。
工芸というものに最近まで興味がなかったのだが、一度見だしてみると、その卓越した技法に支えられた洗練の極みというのはやはり見応えがある。
うるしは日本の工芸品の中でも華麗で洗練されたジャンルで、西洋でも高く評価された。
黒と金を基調にしたデザイン性の高い作品は今見てもかっこよく、クールジャパンなんて一時期流行った言葉はうるしにこそふさわしいのではないか。
バルテュスに思ったより時間がかかってしまって、最後は駆け足になってしまったのが残念だったが、一見の価値はあった。
まあ残念ながらこういった洗練された調度が似合う家に住んでいないので、美術館で見るだけになるわけだが。

そんなわけで全く違うタイプの美を堪能した一日。
スポンサーサイト

シャーロットのおくりもの

ダコタ祭3回めは「シャーロットのおくりもの」。
原作は有名な児童文学らしいけど未読。
DVDのジャケットはダコタと子豚が向かい合っているところで、当然ダコタがシャーロットなのだと思ったのだけど、シャーロットはダコタと子豚の間にぶら下がっている小さな蜘蛛である。

子豚の名前はウィルバー。
生まれたばかりの時に間引きされるところを少女ファーン(ダコタ・ファニング)に救われる。
しかし春に生まれた子豚はクリスマスには屠殺される。
それを蜘蛛のシャーロットが助けようとする、という話。

蜘蛛がどうやって子豚を救うかは、映画を観るか原作を読んでもらうかしてもらうとして、この映画は子豚や蜘蛛の他に、牛、馬、羊、がちょう、ネズミ、カラスらが登場する動物映画で、その動物たちの生き生きした描写がこの映画の最大の魅力。
少し前ならこの映画を実写で撮ることは極めて難しかっただろう。
この映画では実物の動物、機械じかけのアニマトロニクス、CGが組み合わされて複雑な演技を見事に映像にしている。
観ていてもどこが実物でどこがCGなのかほとんど区別がつかない。
蜘蛛のシャーロットとネズミのテンプルトンは全編CGだと思うが、違和感はない。
子豚のウィルバーはトレーナーがかなり演技をつけたようだ。
実際の撮影には40匹以上の子豚が使われたそうで、養豚家の人が観たら、あれさっきと違う豚だぞ、思うのかもしれないが、僕には全く区別がつかなかった。
もちろん実際に動物がするには難しいシーンはCGが使われている。
また実写で撮られた動物を部分的にCGで加工することも行われている。
CGが恐竜やドラゴンだけではなく、身近な動物もこうやって再現できるようになったということは映画の可能性が大きく広がったことでもある。

ダコタ演じるファーンは人間側の主人公なのだが、何しろ動物たちがメインの映画なので、ダコタ映画と思って観るともの足りない。
ファーンは後半、子豚のウィルバーの行く末より、新しく出来たボーイフレンドの方に興味が移っているようだ。
でもそれでいいのである。
ファーンは大きくなってもヴェジタリアンにはならないだろう。
その代わり、肉を食べるときに少しだけ感謝の気持ちを感じる大人になるだろうし、この映画を観た子どももそうなればいいと思う。
この映画はささやかな「奇跡」を描いた作品だが、その奇跡のささやかさがこの映画を味わい深いものにしている。

あと、動物たちの声を当てているのがけっこう大物で、蜘蛛のシャーロットはジュリア・ロバーツ、ネズミのテンプルトンはスティーブ・ブシェーミである。
なんとロバート・レッドフォードが馬の声を当てている。

ダコタ・ファニングにしてみれば、難しい役ではなかっただろうけど、動物たちとの撮影を本人は楽しんだようだ。
子役はこういう映画にも出るべきだし、子どもはこういう映画を観るべき。

次回は一週空いて、「ランナウェイズ」。

GODZILLA ゴジラ

遅ればせながら「GODZILLA ゴジラ」の感想を。
ネタバレあり。

原水爆、原発事故、避難区域、津波などを盛り込んだゴジラ映画は多分日本では作れない。
それをアメリカがやった、ということにまず感心した。
テーマを掘り下げたとは言いがたいが、何よりゴジラが原水爆と自然災害という人間の力を超えたものの象徴になっている点、怪獣映画として正しい。
出だしの、ゴジラの化石とそこに寄生するムートーのイメージも素晴らしい。
ゴジラの内部からゴジラを見るというありそうでなかった映像。

ゴジラの出現はかなりもったいぶっていて、なかなか全体像が現れない。
これも怪獣映画としては正しいと思う。
そしてようやく姿を現すゴジラは荒ぶる神としての威厳がある。
かっこいい。
それだけにビルの下敷きになるというまぬけなシーンはいらなかったと思う。
ないでしょ、ゴジラがビルの下敷きになるって。
背びれが少しずつ光って放射能熱戦を出すお約束のシーンはたっぷり間をとって見事に決めている。

ラストはフォードの決死の活躍で核弾頭を止める、というのではなぜいけなかったのかよく分からない。
あんな近くで核爆弾が爆発したらサンフランシスコは死の街になってしまうではないか。
やはり核兵器に対する危機感が足らないんだろうな。

今回はムートーがかなりメインで出てくるので、デザインがイマイチなのが惜しい。
「クローバーフィールド」の怪獣もあんなんだったな。
あと、色については、ゴジラが黒に近い灰色なのは決まっているので、二体のムートーには色つければいいのに、と思った。
日本のデザイナーだったら多分色つけてる。
雄と雌で違う色で。
「パシフィック・リム」の怪獣もあんまり色ついてなかったな。
恐竜だって最近の復元図にはカラフルな色がついてるんだし、怪獣はカラフルでいいと思う。

いろいろ気になる点はあるものの、十分楽しめるレベルだった。
そもそも怪獣映画に100点を求めるのが間違いで、そんなこと言ってたら怪獣映画のほとんどは観れない。
54年ゴジラにさえ欠点はある。
ギャレス・エドワーズ監督は怪獣映画をかなり研究している。
続編が決定しているそうで楽しみだ。
2018年てだいぶ先だけど。

あと、確かにハリウッドの技術と資本はすごいのだが、やはり日本には日本の怪獣映画があっていいと感じた。
例えばビルが崩壊するシーンはCGよりミニチュアの方が迫力がある。
丹精込めて作った精巧なミニチュアを一瞬で叩き壊してしまう爽快感はCGでは再現できない。
あれもある種の様式美なので、日本は日本の怪獣映画をまた作って欲しい。

マイ・ボディガード

ダコタ・ファニング祭、第2回めはトニー・スコット監督の2004年作品「マイ・ボディガード」。
トニー・スコット監督はリドリー・スコット監督の実弟。
デビュー作の「ハンガー」を観て感心したのだが、次の「トップ・ガン」が僕の趣味ではなさそうだったので敬遠して、結局それ以来ほとんど観ていない。
2012年に自殺しているのだが、当時訃報を聞いた記憶がない。
そんなわけで、僕にはトニー・スコット監督について何か語る資格はないのだ。
以下ネタバレあり。

邦題から予想されるものよりかなりハードな作品だというのはなんとなく知っていた。
原題は「MAN ON FIRE」。
誘拐が頻発するメキシコでダコタ・ファニング演じる少女ピタにボディガードがつけられる。
それが元対ゲリラ戦専門の退役兵クリーシー(デンゼル・ワシントン)。
戦争神経症に悩まされアルコールびたりな日々を送っていたクリーシーを友人(クリストファー・ウォーケン)が見かねてボディガードに推薦するのである。

ダコタ・ファニングはこの映画でも完璧な演技を披露している。
孤独で繊細で、時として大人のような表情を見せる。
スペイン語や水泳やピアノをこの映画のために覚えたそうで、プロ意識の高さが素晴らしい。

最初は心を開かなかったクリーシーだが、ピタに水泳の指導をする辺りから急速に二人の関係は密接になっていく。
そこに誘拐事件が起こり、クリーシーは深い傷を負うが、ピタの誘拐を止められない。
身代金の受け渡しも失敗に終わり、ピタは戻ってこない。
そこからクリーシーの猛烈な反撃が始まる。
相手は大規模な誘拐組織であり、戦争の様相を帯びる。
ヴァイオレンスシーンも容赦なく描かれる。
謎解き的要素もあり、息も継がせない。

トニー・スコットの短いショットを畳み掛けるように繋いでいく映像は、スタイリッシュである以上に神経症的で痛々しさすら感じさせる。
デンゼル・ワシントンの演技も鬼気迫るものがある。
クリーシーの孤独な戦いは死に場所を探していた男の最後の戦いなのである。

この映画にはロリコン的要素が殆ど無いにもかかわらず、そのラストにおいてこの映画は恋愛映画である。
それは孤独な魂がそこで結び合うからで、魂には年齢がないからである。

トニー・スコットという監督に興味がわいたので、そのうち特集組みます。
とりあえずデンゼル・ワシントンと組んだ映画がこの映画を含めて5本あるそうなので、残り4本でトニー・スコット×デンゼル・ワシントン祭するかも。

次回は「シャーロットのおくりもの」。

アイ・アム・サム

8月の月極映画祭はダコタ・ファニング祭なのである。
6月に観た「ランナウェイ・ブルース」に出ていたダコタ・ファニングがもう20歳の大人の女優になっててびっくりしたのでそう決めた。
まあいつの間にか大きくなって、と遠い親戚のおじさんみたいな心境なのだが、実はダコタ・ファニングが出てる映画、ほとんど観てない。
どうも「宇宙戦争」しか観てないみたいだ。
遅れを取った。

そんなわけで、第1回は2001年の「アイ・アム・サム」を観た。
ダコタ・ファニング7歳の出世作。
友人に強く勧められていた映画でもある。
僕はいわゆるヒューマン・ドラマ系の映画ってあんまり観ないんだよな。

共演は「ミルク」のショーン・ペン、「バットマン・リターンズ」のミシェル・ファイファー、「ジュラシック・パーク」のローラ・ダーン。
ショーン・ペン演じるサムは軽い知的障害がある自閉圏の人。
7歳児程度という設定で、ちゃんとスターバックスで仕事をしている。
訳ありで一児の父となるのだが、母親はすぐに出ていき一人で娘を育てる。
娘の名前はルーシー・ダイヤモンド・ドーソン。
これがダコタ・ファニングで、もちろん名前はビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド」から来ている。
この映画、ビートルズ映画でもあるのだ。
使われているビートルズの曲はオリジナルではなくカヴァー・ヴァージョンなのだが、ビートルズのエピソードがいろいろ出てくる。
知的障害のあるサムから親権が奪われそうになり、勢いとタイミングで図らずもサムの弁護士になってしまうのがミシェル・"キャット・ウーマン"・ファイファー。
名前がリタ・ハリソンで、これもビートルズがらみのネーミング。
里親にローラ・ダーン。

ダコタは7歳で父親より賢くなってしまった聡明な少女役を極めてクレヴァーに演じている。
役どころを完全に理解した演技である。
時にサムの保護者であるかのように慈愛に満ち、時に策士のように機略をめぐらし、時に子どもらしく感情を爆発させる。
実質的なデビュー作なのだが、すでに完成された感のある幅広い演技。
見事だ。
そして暴力的なまでに可愛い。

知的障害はあるが愛情に満ちた父親と、社会的に成功しているが家族に問題を抱えた女性弁護士というのは、ある種ステレオタイプでもあるが、それが気にならないくらいショーン・ペンもミシェル・ファイファーも熱演している。
大人たちが熱く演じてる中で、ダコタが一人クールに演じている感もある。
あと、サムの友人の知的障害とか発達障害とかを抱えている人たちが大変いい味を出している。

それにしてもアメリカの法廷ものを観るといつも思うんだけど、弁の立つ方が勝つみたいな描かれ方をしてて、実際ああなのかなあ。
まあ、選挙もそうだし、アメリカ社会ではディベイトの力がモノを言うんだというのがよく分かる。

次回は「マイ・ボディーガード」。
プロフィール

おがわさとし

Author:おがわさとし
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。