ミセス・ダウト

ロビン・ウィリアムズ追悼の4作目は「ミセス・ダウト」。
クリス・コロンバス監督の1993年作品。

離婚して週1回しか子どもに会えなくなった父親が、女装して家政婦として子どもたちの面倒を見る、という荒唐無稽なアイディアをロビン・ウィリアムズと特殊メイクのグレッグ・キャノン(この映画でアカデミーメイクアップ賞受賞)が実現している。
原題は「Mrs.Doubtfire」。
「放火の疑い」というような意味の新聞の見出しから取った家政婦の偽名である。
なかなかセンスのあるネーミングだ。

クリス・コロンバスはこの映画の前に「ホーム・アローン」でヒットを飛ばし、後に「ハリー・ポッター」の1作目と2作目を撮っている。
基本的に毒のない監督で、そこが物足りなくもあるが、この映画ではウェルメイドな喜劇をさすがに手堅くまとめている。

ロビン・ウィリアムズ演じるダニエルは日本で言えば声優で、この映画もアニメーションのアフレコシーンから始まる。
この声優という設定と、兄が映画のメイクアップアーティストだという設定が、ミセス・ダウトファイアーの設定を自然に見せている。
ミセス・ダウトファイアーは実際60歳くらいのおばさんにしか見えない。
これも映画のマジックだ。
「ガープの世界」ではジョン・リスゴーが性転換した女性を怪演していて、ロビン・ウィリアムズの主人公を食ってしまってる感があったが、今回はロビンの怪演が映画全体を引っ張っている。

映画ネタがたくさん出てくるのも楽しい。
別れた妻(サリー・フィールド)の新しい恋人役が5代目ジェームズ・ボンドことピアース・ブロスナンなのだが、当然007ネタも出てくる。

何より喜劇役者としてのロビン・ウィリアムズの魅力が最大限発揮された映画。
でもファミリー映画だと思って観ると、下ネタばんばん出ますよ。
たぶん、ロビンのアドリブなんじゃないかなあ。

ラストで新しい形の家族像を示せているのもいい。
実はそんなに期待していなかったのだけど、思っていた以上に楽しめた。

次回はロビン・ウィリアムズ追悼の最終回で「グッド・ウィル・ハンティング」。
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フィッシャー・キング

ロビン・ウィリアムズ追悼映画祭、3本目は「フィッシャー・キング」。
1991年のテリー・ギリアム監督作品。

当時「バンデットQ」、「未来世紀ブラジル」、「バロン」と観てきて、その次にこの映画が来た時はちょっと意外な感じがした。
テリー・ギリアムと言えばファンタジーかSFというイメージだったので。
しかしこの映画もテリー・ギリアムしか撮れない魔術的作品だと思う。
久しぶりに観て傑作だという思いを新たにした。
以下、いまさらだけどネタバレあります。



ジェフ・ブリッジス演じるラジオの人気DJジャックの不用意な発言をきっかけにあるリスナーが悲惨な事件を引き起こす。
ジャックは番組を降板、レンタルビデオ屋でバイトをしながらその店のオーナーであるアンのヒモのような暮らしをしている。
このレンタルビデオ屋の感じが懐かしい。
ジャックが浮浪者狩りの若者に襲われたとき(アメリカにもいるんだな、こういう若者)、ロビン・ウィリアムズ演じる不思議な浮浪者バリーに救われる。
バリーが実は事件で最愛の妻を失った元エリートであることを知ったジャックはバリーと関わっていく。
映画はジャックとバリーの友情と、それぞれの恋愛を軸に進んでいく。

というあらすじだと全然ファンタジー色なさそうだけど、そんなことはない。
この映画のタイトルのフィッシー・キングというのはなんでも聖杯伝説と関係のある名前で、聖杯伝説、よく知らないんだけど、その聖杯伝説がこの映画の背景にはある。
バリーは狂気と現実を行き来し、映像も現実と幻想を行き来する。
前作「バロン」で幻想の方に振れ切ったテリー・ギリアムが幻想と現実の関係を改めて深く考察した映画とも言える。
幻想はこの映画では現実の耐えがたい傷を癒やす力でもある。

この映画は恋愛映画でもある。
バリーが恋する相手は発達障害気味のリディアという女性。
演じているアマンダ・プラマーは「ガープの世界」でも出番は少ないが物語のキーパーソンであるエレンという女性を演じていた。
今回はロビン・ウィリアムズとがっつり組んで魅力的なキャラクターを作り上げている。
バリーが駅の雑踏の中でリディアを見つけるシーンの魔術的演出は映画史に残るレベル。
映画館で観た時も感動したのだが、改めて観ても素晴らしい。

久しぶりに観て、けっこうストーリーは覚えていたのだが、肝心のラストを覚えていなかった。
当時はお伽噺のようなハッピーエンドが今ひとつぴんと来なかったのだと思う。
今観ると、このお伽噺のようなエンディングのためにこの映画があるのだと思える。
人生の残酷さに対する映画という夢の復讐である。

この映画のロビン・ウィリアムズはバリーという多面的なキャラクターを魅力的にエネルギッシュに演じている。
この役はロビン・ウィリアムズ以外に考えられない。
狂気と純情、大胆さと繊細さ。
ロビン・ウィリアムズの振れ幅の大きさが堪能できる映画でもある。

いまを生きる

ロビン・ウィリアムズ追悼祭二本目は「いまを生きる」。
1989年のピーター・ウィアー監督作品。

邦題で観に行く気になれない映画というのがあるが、これも当時タイトルで観る気がしなかった映画。
原題は「DEAD POETS SOCIETY」。
「死せる詩人の会」。
こっちの方が断然いいと思うんだが。

伝統と規律を重んじる名門男子校ウェルトン・アカデミーに新任の英語教師キーティングがやってくる。
この新任教師がロビン・ウィリアムズ。
この学校の卒業生だが、学校の伝統に従わず、型破りな授業で自由な発想を生徒に教えようとする。
邦題の「いまを生きる」はそのキーティングが生徒たちに言う「Carpe diem」というラテン語から来ている。
英訳は「Seize the day.」。
重訳すると「その日をつかめ」だが、字幕では「いまを生きろ」となっている。
確かに端的に映画のテーマを言い表しているが、端的すぎてタイトルとしてはどうかと思う。
「死せる詩人の会」というのはキーティングが在校時に作った会の名前で、洞窟に集まって詩を朗読する会。
それをキーティングの生徒たちが復活させるのである。

ウェルトン・アカデミーの校風は、アメリカにもこんな学校があるのか、と思うほど保守的。
アメリカのエリートってこんな学校で養成されるのか。
うんざりするな。
それとも誇張が入っているのだろうか。

脚本はその年のアカデミー賞最優秀オリジナル脚本賞を受賞しているが、いい奴と嫌な奴がきっぱり分かれた脚本は単純すぎて僕にはあまりいいようには思えなかった。
それでもロビン・ウィリアムズと生徒たちは生き生きと描かれていて、魅力的。
校長とか親とか嫌な奴はほんとに嫌な奴なので、感情移入しやすいのは確か。
ピーター・ウィアーの繊細な映像と演出も好感が持てる。

超保守的な学校に型破りな新任教員がやってくる、と言うとだいたい物語はある程度予想できるし、物語はある程度予想の範囲で進んでいく。
クライマックスにある悲劇が待っていて、それをきっかけに芽生えかけた自由が圧殺されようとする。
キーティングは学校を去ることになるのだが、そこで生徒たちが取る態度が、ベタながら感動的だ・

映画としての評価は別として、同じ教職にある者として反省させられた。
一日一日の大切さを忘れてはいなかったか。
「Carpe diem」
ホラティウスの言葉らしいが、ロビンからの言葉として受け取りたい。

インターステラー

何かと話題のSF大作「インターステラー」を観た。
クリストファー・ノーラン監督の作品はだいたい観ているし、だいたい支持しているのだが、この映画に関しては正直言って全くのれなかった。
以下ネタバレ含みます。



そもそも地球が衰退しているという設定に全くリアリティーがない。
地球の危機をテーマにしながら、なぜかアメリカ以外の状況は全く描かれないのだが、日本で言えば、今年は黄砂がひどいねえ、くらいの映像しか出てこない。
現実の現在の地球でももっと荒廃した土地はいくらでもあるし、そんな土地でも人は暮らしているのである。
疫病がどうのという話も、人類はそんなの何万回も経験してきているのだ。
なんでこの星から慌てて脱出しなくてはならないのかさっぱり分からない。
海があって、大気があって、適度に陸地があって、太陽からの距離が適切で人間が済むのに適した温度を保っている。
ラストに出てきた岩だらけの星をテラフォーミングしてそこに何十億の人間を移住させるより、地球をなんとかもたせる方がはるかにローコストで現実的なのは誰が見ても分かる。

ノーランによると地球が荒廃した理由はあえて描かなかったのだ、ということだが、それでは物語に必然性が生まれない。
それともノーランは現実に地球がもう居住不可能な星になりつつあると信じているのだろうか。
そうだとすれば被害妄想も甚だしい。
少し頭冷やせと言いたい。

その設定の中途半端さがあとあとまで尾を引きずっている。
大して危機的とも思えない地球から家族を捨てて未知の宇宙に飛び立つ父を娘は責める。
そりゃそうかなとも思う。
その話が延々続く。
ラストまで引きずる。
人類が滅びるかどうかという話をしている時に父と娘の仲違いと関係の修復がメインのストーリーになってしまっているのはいかがなものか。
そこに感動するかどうかは人によると思うが、僕は白けた。
この映画は長いので、他にもいろいろメロドラマ的な要素があるのだが、正直どれも白けた。
状況とドラマが全然一致していない。
アン・ハザウェイが愛について新興宗教みたいな自説を披瀝するくだりはどこまで本気なのか。

SF的なメインのアイディアはそれはそれでありだと思うが、小説なら短編のアイディアだろう。
そんなに引っ張る話じゃない。
(あんまり長い話なので冒頭のエピソードを忘れかけてた。)
だいたい○○人も人類を助ける気があるなら他になんとでもしようがあるだろう。
あんな迂遠な方法をとる意味がさっぱり分からない。
相対性理論の量子化という、この話と何の関係があるのかよく分からない問題(それ自体は現代理論物理学の最大のテーマ)についても、どうしても必要なら普通に教えてやればいいじゃないか。
わざわざ人類のためにワームホール作ってやるくらい気前がいいかと思えば、なぜそこではもったいぶるのか。
遊ばれてるのか。
それなら分かるけど。

いろんなところがちぐはぐで、どうにも最後まで話にのれなかった。
で、本当にあの岩だらけの星にみんなで移住するの?
止めた方がいいと思うけどなあ。

ノーランにはまだ期待しているので次の映画も観るとは思う。
でも期待度が下がったのは否めない。
次はいい意味で期待を裏切って欲しいなあ。

ドラキュラZERO

ドラキュラ映画は数あれど、ドラキュラが吸血鬼になったそもそもの始めの物語というのは初めてだろう。
コッポラの「ドラキュラ」が少し取り入れているが、全編そこに絞った映画というのはない。
その着眼点がとてもいいと思った。
いちおうドラキュラ・ファンとしては観ないという選択肢のない映画なのである。
原題は「DRACULA UNTOLD」。
「語られざるドラキュラ」。
でも邦題の「ドラキュラZERO」もB級ぽくて悪くない。

それにしても今どき上映時間1時間32分て。
3時間映画が珍しくない中、潔いまでに短い。

よく知られているように、ドラキュラのモデルになったのはワラキア公ヴラド3世。
映画はヴラド3世の史実を取り入れつつ、吸血鬼ドラキュラの起源を描く。
オスマン・トルコからキリスト教世界を守った英雄ヴラド3世がキリスト教に背き吸血鬼となる話なので、壮大にすればいくらでも壮大になりそうなものなのだが、映画は基本的にヴラドの家族愛の話がメインになっている。
その分スケールが小さくなったことは否めない。
自らもオスマン・トルコの人質になった経験のあるヴラドは息子を人質にすることに耐え切れず、オスマン・トルコの使者を切り捨てる。
当然、オスマン・トルコは怒り、軍を差し向ける。
数において劣るヴラドはたまたま山の洞窟に潜んでいるのを見つけた吸血鬼の力を得ようと決意する。
この辺も説明不足だし、ご都合主義的なこともまた否めない。
マスター・ヴァンパイヤと血の契約を交わし、吸血鬼の力を得るが、三日間血の渇きに耐えることが出来れば人間に戻ることが出来る。
この設定も面白いのだが、今ひとつドラマ的に消化できていない。

いろいろあげつらったが、脚本が練りきれていないのは事実だ。
いろいろ突っ込みどころは多い。
では面白くなかったのかというと、そうでもない。
僕はけっこう楽しんだ。

まずドラキュラ役のルーク・エヴァンスがなかなかいい。
悩み多き若き領主を好演している。
ちゃんとドラキュラに見える。
マスター・ヴァンパイヤを演じたチャールズ・ダンスも不気味で怪物然としていていい。
ドラキュラは無数の蝙蝠に変身したり蝙蝠を操ったりするのだが、この映像がかっこいい。
CG時代のドラキュラとして今までに見たことのない映像を見せてくれる。
ドラキュラが人間の姿になったり蝙蝠になったりしながら、一人で千人のトルコ兵を切り倒すシーンはなかなかの出来。
無数の蝙蝠を自分の手のように操ってトルコ兵を壊滅させるシーンもいい。
クライマックスでワラキアの吸血鬼軍団が最終的にトルコ兵を打ち破るシーンも魅力的だ。
個々のシーンにはけっこう見応えがあるシーンが多い。
監督のゲイリー・ショアはこの映画が長編デビューだが、元はCMディレクターで、なるほど、という感じはする。

それだけに、脚本の弱さがもったいないなー、と思わされるわけだけど、ドラキュラ映画はとりあえずドラキュラがかっこよければいいのだ。
その点では及第点。

ラストは現代のシーンで、続編作る気なのかな?と思わせる終わり方。
まあ、作られれば観ますけどね。

紙の月

宮沢りえ主演、吉田大八監督の「紙の月」を観た。
吉田大八監督は前作の「桐島、部活やめるってよ」が注目を集めた監督だが、僕は未見。
原作は角田光代の柴田錬三郎賞受賞作だが、こちらも未読。

既婚の銀行の契約社員が、契約先の老人の孫である大学生と関係を結び、それをきっかけに横領に手を染めていく。
と書いてしまえば、何かありがちな話のようだが、そして作品の中でも「ありがち」という言葉はキーワードのように使われるのだが、監督の狙いは主人公が「自分を抑えて生きてきた女性が、快楽を燃料に破滅へと暴走していく姿を「爽やかに」描」く(パンフレット・インタビュー)ことにあったそうで、それは成功しているのではないかと思う。

宮沢りえの佇まいがとてもいい。
不惑というのは孔子の話であり、40歳は普通の人間にとってはむしろ惑いの年ではないだろうか。
ユングは中年期の危機を「人生の正午」と読んだ。
人生がこれから暮れていく転換点であり、それまでの生き方が問われる年代である。
40歳の宮沢りえの抑えた演技はある種の危うさと不穏さを感じさせる。
もちろん華やいだシーンでは今でも十分美しいのだ。

この映画では梨花(宮沢りえ)は人生に特に大きな不満を抱えているわけではない。
夫(田辺誠一)はやや鈍感ながら温厚で妻への愛情を失っているわけでもない。
仕事にも多分それなりにやりがいを感じている。
その梨花がふとしたはずみから横領に手を染めていく。
そのプロセスが丹念に描かれていてスリリングだ。
大学生の光太(池松壮亮)は特別イケメンというわけでもなく、そこがかえってリアル。

小林聡美が銀行のお局様的な役で存在感を示している。
ほとんど笑顔を見せない役で、今まで観たことのない小林聡美だけど、さすがに貫禄がある。
宮沢りえと小林聡美の関係がこの映画の軸になっている。
もう一人、大島優子が小悪魔的な銀行員を演じていて、こちらも好演。
この二人は映画オリジナルのキャラクターだそうだが、映画は三人の女の関係を中心に回っていると言っても過言ではない。

映像は繊細で、抑え目の演出もきめ細かだ。
だからこそクライマックスの衝撃は素晴らしく、鮮やかだ。
善悪ではなく、窓ガラスを破って走り出したい衝動に共感できる。
監督と宮沢りえはこの作品に、シド・ヴィシャスの「マイ・ウェイ」をイメージしていたそうだが、この一見端正な映画にパンクの精神が息づいている。
そこがいいと思う。

東宝特撮ナイト第11夜(「怪談」)

東宝特撮映画DVDコレクションを公開年順に観ていく東宝特撮ナイト、第11夜は1965年公開の「怪談」。
小泉八雲の原作を小林正樹監督が映像化した異色作で、東宝特撮映画という括りでいいのか疑問だけど、名作ではある。

3時間の大作で、「黒髪」「雪女」「耳無し芳一」「茶碗の中」の4つのエピソードからなっている。
オープニングからして渋くて、東宝特撮映画、という印象ではない。
ほとんどセットで撮られているのだが、美術、照明が極めて様式的で幻想的。
武満徹が「音楽音響」でクレジットされていて、音楽と音響を区別せず、全ての音が一つの感性でまとめられているのも特筆すべき点。
音楽劇的な趣さえある。

「黒髪」は極端に台詞の少ない作品で、もっとも様式的。
主演は三國連太郎。
ストーリー自体はオーソドックスなゴーストストーリーだが、時間ホラーでもある。

「雪女」は美術と照明が素晴らしく、特に目玉が浮かんだ空のイメージが鮮烈。
コッポラが確か「ドラキュラ」で真似してた。
平井和正・桑田次郎(現・二郎)コンビの「エリート」が「怪談」公開の直後だから、あの宇宙生命体アルゴールのイメージもここから取ったのかもしれない。
雪女は岸恵子、巳之吉を仲代達矢が演じている。

「耳無し芳一」も美術が豪華だ。
芳一を演じているのは中村嘉葎雄。
これが一番長いエピソードで、志村喬や田中邦衛も出ていてコミカルな場面もある。
丹波哲郎が平家の亡霊を演じていてさすがの迫力。
壇ノ浦の合戦は絵巻風の絵とセットを組んで撮影した合戦場面が平行して使われていて豊かなイメージを生んでいる。
芳一が亡霊の前で琵琶を弾くシーンも様式美に富んだ、それでいてダイナミックな映像で飽きさせない。
全身に般若心経を書かれた芳一と亡霊が対峙するシーンはデリケートな合成がなされていて、確かに特撮映画としても楽しめる。
「耳無し芳一」という誰でも知っている話を大きくふくらませて、全体に非常にスケールの大きな物語になっていることに感心する。

最後に、結末のない話として「茶碗の中」という小品が置かれているのだが、シュールな味わいのある怪談で、怖さから言えばこれが一番怖い。

小林正樹という巨匠の作品はこれとドキュメンタリーの「東京裁判」くらいしか観てない。
そのうち「人間の條件」六部作と「切腹」で特集組もうかな。
ヘビーそうだな。

次回は「フランケンシュタイン対地底怪獣」と「大冒険」。

ガープの世界

毎月勝手にテーマを決めて映画のDVDを観る月極映画祭。
基本毎週月曜だけどその週によって変動あり。
高倉健、菅原文太と邦画の名優の訃報が続いているが、今月の月極映画祭は今年8月に亡くなったロビン・ウィリアムズの追悼特集。

今週観たのは1982年の「ガープの世界」。
監督は「明日に向かって撃て」や「スティング」のジョージ・ロイ・ヒルで、当時監督目当てで観に行った。
ジョン・アーヴィングの原作は未読。

第二次世界大戦中に看護婦が死ぬ間際の飛行兵に跨って生まれた子どもがガープ。
映画はそのガープの生涯を描く。
波打ち際で遊ぶ子ども時代のガープに母親のジェニーが「引き波(undertow)に気をつけて」と何度も注意するシーンがある。
大人になったガープは幼い息子に同じことを言う。
このセリフが映画の一つのテーマになっている。
辞書を見ると「undertow」には「潜在的な感情、無意識の心の動き」という意味もある。
人生には本人の知らないところで流れる「undertow」があって、時としてそれに人は足元をすくわれる。
それが引き起こす、滑稽さや悲劇を映画は優しく描き出す。
この人生の避けがたい残酷さを優しく包み込む描き方はジョージ・ロイ・ヒルならではのものだ。
昔観た時はこの「undertow」が実感できなかったと思う。
今はそれが少しくらいは分かるようになった。
人生の多くは自分のあずかり知らぬ「undertow」の力で決まっていて、それは時として辛い体験をもたらすが、幸福な時ももたらす。

母親役のグレン・クローズはこれが映画デビュー作だそうだが、時として主演のガープを食ってしまうくらいの存在感だ。
性転換した元フットボール選手のロバータを演じたジョン・リスゴーの存在感もそれに劣らない。
ロビン・ウィリアムズ演じるガープはそれに比べると、空想好きで作家としての才能に恵まれてはいるが、多くの人が共感できる普通の男だ。
30歳を少し過ぎたくらいのロビン・ウィリアムズが初々しさを感じさせる演技を見せている。

映画は多くのエピソードで構成されているが、それらは一見無関係なようで波の下で微妙につながっている。
脇役も一人一人映画の中で意味を持たされている。
それらが時として残酷でありながら心地よい映画空間を生み出している。

この映画の最初と最後にザ・ビートルズの「WHEN I'M SIXTY-FOUR」が使われている。
ロビン・ウィリアムズは亡くなった時63歳だった。
64才になる前にロビン・ウィリアムズが「unndertow」に取り返しの付かない形で足元をすくわれてしまったのは残念なことだった。

次回は「いまを生きる」の予定。

永遠に美しく…

ディック・スミス追悼特集ラストは「永遠に美しく…」。
1992年のロバート・ゼメキス監督作品だが、僕は初見。
1992年といえば「ターミネーター2」の翌年、「ジュラシック・パーク」の前年で、CG技術もかなり進んでいた時期だが、この映画は極力CGを抑えて伝統的な特殊メイクと画面合成を駆使している。
いかにもレトロな画面作りが楽しい。

お話はブルース・ウィリス演じる整形外科医をめぐる二人の女の話に不死の薬の話が絡んだブラック・コメディ。
基本的には三角関係のどたばただが、そこにホラーテイストな悪趣味さがスパイスのように効いている。
まずブルース・ウィリスのコメディアンぶりが楽しい。
もう記憶している人も少ないかもしれないんだけど、ブルース・ウィリスは元々コメディアンである。
二人の女はメリル・ストリープとゴールディ・ホーン。
名前がマデリーンとヘレンなのだが、MadとHel(lが一つ少ないが)と呼び合っていて、そこからもうブラック。
ゴールディ・ホーンは一回激太りして猫屋敷で自堕落な生活をしているのだが、その辺のメイクも見どころ。
もっとも、このあたりの老けメイクでは同じゼメキス監督の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の方が見応えがあるかもしれない。
メリル・ストリープはもう少し老けメイクしてあってもよさそうなものだが、こちらは遠慮したのか本人が嫌がったのか、さほど劇的に老けてはいない。

イザベラ・ロッセリーニ(映画監督のロベルト・ロッセリーニと女優イングリッド・バーグマンの娘)演じる謎の女が現れて、マデリーン(メリル・ストリープ)に不死の薬を飲ませる辺りから話はホラー的な色彩を帯びてくる。
ホラーって言っても、ゼメキスがイメージしていたのは多分ヒッチコックと往年のハマーホラー。
個人的にとても趣味が合う。
楽しい。

メリル・ストリープの首が外れてぐにゃぐにゃになるシーンはさすがにCGも使っているのだろうか。
どうやって撮ってるんだこれ、という映像になっている。
この、どうやって撮ってるんだこれ、という快感はCG技術が進んで失われたものの一つの気がする。
いや、CG詳しい人は今でもそう思って観るのかもしれないけど。
ゴールディ・ホーンのお腹に穴が空くのはたぶんわりと古典的な技法。
でも細かい工夫が色々されていて、そちらも面白い。

お話自体は他愛ないけど、芸達者な役者たちの演技合戦と適度な悪趣味さが楽しい映画。
オチも個人的には好き。

そんなわけで、特殊メイクの世界に偉大な足跡を残したディック・スミスの追悼特集はこれでおしまい。
あ、最初にも書いたけど、ディック・スミスは普通のメイクの仕事もたくさんしているんですよ。
僕のセレクトがアレなだけで。
12月の月極映画祭はまた追悼特集になっちゃうけど、8月に亡くなったロビン・ウィリアムズ特集の予定。
追悼特集ばかりやる気ははいんだけど、毎月のように追悼特集やりたい人が亡くなるんだよなあ。
悲しいことだ。
プロフィール

おがわさとし

Author:おがわさとし
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