キングスマン

この秋話題の3大マン映画、最後の一本「キングスマン」を終映間際になってやっと観た。
なるほど、面白い。
そして思っていた以上にブラックだ。

単に人がたくさん死ぬから、というより、この映画の、おそらく監督であるマシュー・ヴォーン(と原作のマーク・ミラー)の眼差しにある種の毒というか悪意というか、そういうものが感じられる。
もっと言えばある種の狂気だ。
たぶん監督(と原作者)はサミュエル・L・ジャクソン演じる狂気のIT富豪ヴァレンタインに何分の一かは共感している。
人間というのはどうしようもないものだと、心のどこかでは思っている。
たぶん自分も含めて。

しかし映画はその毒をただ垂れ流しはしない。
むしろ映画言語を知り尽くした手練れの監督として、ひたすらスタイリッシュに映画に形を与えていく。
それを支えているのは確かな知識と技術だ。
そこにユーモアもまぶして。
かくして芯に毒をはらみながら映画は見事なエンターテイメントとして成立している。
とても英国的だ。

たぶんそれがマシュー・ヴォーンの人間観でもあるのだろう。
人間の核にはどうしようもない攻撃性や狂気が存在している。
一皮むけば互いに殺し合うしかない凶暴な存在だ。
しかしそもそも人間はむき出しの状態で生きているわけではない。
その狂気を人間は教育によって、作られた理性によって、訓練された自律心によって飼いならす。
かくして芯に毒をはらみながら人は優しくもなれるのだ。
マナーが人間を作る、というのはそういうことだ。
とても英国的な人間観だ。

この一見荒唐無稽な映画が奇妙に説得力を持つのはその人間観と映画の構造に整合性があるからだ。
そういう作品は強い。
そして芯に毒があることは表現者にとっては強みなのだ。

ところで僕は「キングスマン」という邦題が今ひとつしっくりこない。
「KINGSMAN」をカタカナ表記すれば「キングズマン」だろう。
そこはちゃんとするのが英国的だと思うんだ。
ハリーは「発音は関係ない」って言ってたけどね。
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哀しみのアルテイシア

「機動戦士ガンダム THE ORIGIN Ⅱ 哀しみのアルテイシア」を友人のPelolinga君と観にいった。
やはり一作目を観た以上これは外すわけにはいかないのだ。
しかし、上映時間58分って!
1時間切ってるじゃん!

マンガ版読んでないので、お話的には、ああそう来るのか、というところもありそれなりに面白くもあったのだが、いかんせん一番の見せ場がモビルワーカーのテストシーン(今回唯一のメカ・バトルシーン)とアルテイシアの水着シーンなのでたいへん地味な映画である。
以下ネタバレを避けるために小ネタ的なことを思いつくままに。

ガンダム世界ってインターネットとかないんだっけ。
アルテイシアが羽ペン風のペンで手紙を書くのは、まあそういう古風な趣味として理解できなくもないが、パソコンとかスマホとかの類も出てこないし、どうも日常的にネットでやり取りする環境にないようだ。
ミノフスキー粒子の話は次回出てくるようなので、それとは関係なくネット環境のない未来、ということなのだろうか。
アストライアの死を伝える手紙もたぶんプリントアウトじゃなくてアナログの手紙だよな、あれ。

ガンダム世界の文字表記が基本英語なのって前からだっけ。
なんとなくジオン公国はドイツ語使っているイメージだったのだが(ジーク・ジオン!のジークはドイツ語のSieg(勝利)だよね?)、文字表記を見る限り基本英語を使っているようだ。
デモをする民衆の横断幕も英語である。
アルテイシアの手紙も英語。
スペイン警察はスペイン語使えよとも思うのだが、英語が国際共通語になっているのか。
アストライアの墓だけなぜかフランス語だったようなのだが、アズナブル家がフランス系だからなのか。
アズナブル家はアメリカ大好きな一家なのだが。

最初の方に出てくる甲冑の人はなぜわざわざ甲冑を着たのか。
あれ、屋敷に潜入してから着てるよね?
なぜ?

今回一番びっくりしたのは子ども時代のアムロを古谷徹さんが演じて全く違和感がなかったことだ。
古谷徹さん、まだ子役が出来るのか。
62歳なのに!

アルテイシアの猫が死んだのが地味にショックだった。
私事だが、映画を観た日は愛猫はなの一周忌だったのだ。

次回は来年春だそうである。
ここまで来たら観ますよ。
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