陶酔!ヘルツォーク(その1)

京都みなみ会館は作家ごとの特集をよくやってくれてありがたい。
去年暮れのテオ・アンゲロプロス特集、アンドレイ・タルコフスキー特集も至福の時間だったし、毎年のようにやっているゴダール特集も行けるかぎり行っている。

3月の「陶酔!ヘルツォーク」も喜んで通った。
みなみ会館、ありがとう。

今回観たのは観た順に言うと「小人の饗宴」「ストロチェクの不思議な旅」「ノスフェラトゥ」「アギーレ 神の怒り」「コブラ・ヴェルテ 緑の蛇」「フィツカラルド」「ヴォイツェク」の7本。
初見は「ストロチェクの不思議な旅」と「コブラ・ヴェルテ 緑の蛇」の2本で、あとは学生時代に観ている。

ヴェルナー・ヘルツォークは僕の大学時代、ジャーマン・ニューシネマの旗手としてヴィム・ヴェンダースやライナー・ヴェルナー・ファスビンダーと共に映画ファンの注目の的だった。
僕もせっせと上映会に足を運んだ。(大半はちゃんとした映画館じゃなくて、もっと小さなスクリーンの自主上映で観たように記憶している。)
ヴェンダースもファスビンダーも好きだったけど、ヘルツォークの荒々しい想像力に満ちた画面は特別な魅力を放っていた。

まず、今回が初見の「ヴォイツェク」を見てみよう。
ヨーロッパから遠く離れた土地を舞台にすることが多いヘルツォークの中では異色の、ドイツの片田舎を舞台にした作品。
話はある意味とても単純で、内縁の妻のマリーと子どもだけが支えの冴えない兵士ヴォイツェク(クラウス・キンスキー)が、マリーの浮気を知り、狂気の内にマリーを刺殺するまでを描いた作品。
こう言っちゃうと身も蓋もないですね。
この作品の肝は、ヴォイツェクにとって、世界がひどくよそよそしく不気味で今にも崩壊しそうなものに思えている、というその不安感にある。
こういうのをちょっと前の評論なんかではよく「人間の疎外状況」と言ってました。
まあ、そう言っちゃえばそうなんだけど、この世界のよそよそしさがヘルツォークの創作の根本にあるんじゃないかという気が僕にはする。
この世界に自分が受け入れられていないという、たぶん、少なくない人が若い時期に一度は体験する不安感。
世界は自分の知らない仕掛けで動いていて、みんなはそれを当たり前のこととして受け入れているのに、自分にはそれが出来ない。
その不安の中で絶望に陥ろうとする自分をかろうじて一人の異性がつなぎ止めていてくれる。
でもその相手もいつかは離れていく。
そんな存在のフラジリティ。
「ヴォイツェク」は正直言って、すごく面白い映画というわけではない。
ヘルツォークで一本と言われたら、これを推薦はしない。
でもヘルツォークを知る上では欠かせない一本だと思う。

「ストロチェクの不思議な旅」も同じテーマを、よりヘルツォーク的なケレン味を加えて見せている。
ストロチェクを演じるブルーノ・Sは、今回の上映にはなかったけど、ヘルツォーク監督の「カスパー・ハウザーの謎」でカスパー・ハウザーを自然体(!)で演じた人。(カスパー・ハウザーを知らない人は検索してみてね。)
世界は彼に微笑まない。
微笑まない世界に彼は一人で立ち向かう。
その絶望的な希望。
それがヘルツォークの原点だろう。
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