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陶酔!ヘルツォーク(その2)

ヘルツォークの出世作「小人の饗宴」の衝撃は今観てもあせていない。
施設に入れられている小人たちの反乱が容赦なく描写される。
体制に対する批判とかそんな理屈っぽい話じゃなくて、とにかくこの世界に対して復讐するのだ、哄笑をもって。

「アギーレ 神の怒り」と「コブラ・ヴェルテ 緑の蛇」は、スペインによる南アメリカ大陸侵略と黒人奴隷貿易という、西洋人にとってはいわば恥部といってもいい世界史的犯罪を舞台として描いている。
にもかかわらず、ヘルツォークはそれに対して西洋人の多くが取るようなヒューマニズムにのっとった反省なんておくびにも出さない。
むしろ露悪的なまでに、エルドラドを目指すスペインの反乱者に、最後の黒人奴隷貿易を企む無法者に、絶望的に自分を重ねる。(演じるのはもちろん盟友クラウス・キンスキーだ。)
かと言って、ヘルツォークは過去の犯罪を正当化しようとしているわけでは全くない。
スペイン人による南米先住民虐殺はなかった、なんて言う馬鹿話とは全く無縁だ。
悪の自覚の上に、それでもここではない他の世界を求めた過去のヨーロッパ人に、行き所のない自分の分身を見出すのだ。
過去を反省すると見せかけて、上から目線を捨てない偽善的な映画ならいくらでもある。
それに比べて、ヘルツォークのこのいさぎのよさ。
そしてヘルツォークの描くアマゾンの、アフリカの、魅力的なこと!
「コブラ・ヴェルテ」は初見だが、アフリカの黒人をこれだけ魅力的に描いた映画を観たことがない。

同じアマゾンを舞台にしながら、「フィツカラルド」はヘルツォークの映画の中では、ほとんど唯一爽快なエンディングを迎える映画だ。
夢、愛、友情、そんなキーワードが肯定的に描かれる、という意味では、ある意味ヘルツォークの異色中の異色作と言えるかもしれない。
ヨーロッパ人としての出自(オペラがそれを象徴している)を肯定しながら、ヘルツォークは、アマゾンの中で先住民と「船で山を越える」という離れ業を実行して見せることで「ここ」と「よそ」をつなごうとしている。
それに成功したのかどうかについて、この映画は断定はしない。
しかし、この映画の主人公(もちろんキンスキーだ)は最後に「帰ってくる」。
ヘルツォークの映画の主人公で最後に帰るべきところに帰ってこられるのは(僕が観た中では)フィツカラルドだけだ。
だから素直に泣ける。
帰ってくるところが満面の笑顔のクラウディア・カルディナーレなのだ。
なんて素敵なエンディングだろう。
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