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レミング~世界の涯まで連れてって~

4日は渋谷のPARCO劇場で、寺山修司・作、松本雄吉・演出の「レミング~世界の涯まで連れてって~」を観る。
寺山修司は「田園に死す」を昔観て強い印象を受けたけど、それ以外はあまりよく知らない。
寺山修司の戯曲を舞台で観るのは実はこれが初めてである。
これを観ようと思ったのは、演出が維新派の松本雄吉さんだからで、維新派はかれこれ20年来のファンなのだ。
僕が維新派に求めているものは、「演劇」というのとはちょっと違う。
それで、寺山修司の戯曲で、松本雄吉さんがどんな舞台を作り上げるのか、ちょっと不安もありつつ、楽しみにしていたのだ。

始まってすぐ、ああ、これは松本雄吉さんの世界だ、と強く感じた。
全体に音楽劇としての性格が強く、維新派のヂャンヂャン・オペラの世界観が高い完成度で作り上げられている。
内橋和久さんの音楽が素晴らしい。
もちろん、大人数の役者の複雑で迫力のあるパフォーマンスは維新派の公演と変らない。
にもかかわらず、「演劇」らしさもけっこうあって、とりわけ八嶋智人さん演じるコック1と松重豊さん演じる母親(!)の掛け合いは絶妙。
松重豊さんって、「八重の桜」の八重のお父さんだよ!
それが母親役!
それが不思議とはまっている。

物語を一言で説明するのは難しい。
二人のコック見習い(八嶋智人と片桐仁)が住む下宿の壁がなくなるところから物語は始まる。
そこにいろいろな人たちの物語が絡んでくるのだが、その中で一番ボリュームのあるのは戦前の映画女優影山影子(常盤貴子)をめぐる物語である。
精神病院の話やどこかの国の牢獄の話がそれに絡む。
壁がなくなってプライバシーがなくなるところから物語は始まるわけだが、劇中登場人物たちはむしろ何者かによって壁に閉じ込められる状況に追い込まれていく。
その壁の中と外が入れ子状になっていて、誰が壁の中にいて誰が壁の外にいるのか判然としない。
映画を撮る人間と撮られる人間、治療する人間と治療される人間、妄想する人間と妄想される人間、覗く人間と覗かれる人間、牢屋に入れる人間と牢屋に入れられる人間、夢見る人間と夢見られる人間。
その境界が次々と入れ代わり曖昧になっていく。

その中で一番ずっしりと存在感のあるのは下宿の床の下に暮らすコック1の母親なのである。
母親と息子というテーマが寺山修司にとって重要であったことは、さすがに僕でも知っている。
それが結末に利いてくる。

舞台を観た後で、元になっている戯曲を読んだのだが、意外に戯曲に忠実なんだな、と思ったところと、かなり大胆にアレンジされているところがある。
出だしのいかにも維新派的な都市論的セリフは意外にも原典どおりだった。
変っているのは、大きなところでは主人公のコックが元の戯曲では一人なのに、この舞台では二人になっているところだ。
ラストで一人は街を出、一人は残る。
このラストも元の戯曲とは大きく違っている。
ちなみに上演台本は天野天街さんである。

テーマがなんであるにせよ、舞台は圧倒的な迫力と美で最後まで疾走する。
観終わった後もしばらく眩暈に似た高揚感が続いた。
松本雄吉さんの偉大な才能を改めて感じたと共に、寺山修司にも興味が沸いた。
会場で売っていた「寺山修司幻想劇集」(平凡社)を買って、とりあえず「レミング」だけ読んだのだが、面白い。
他の演出家の寺山演劇も観たくなった。
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