愛、アムール

先月の23日にミヒャエル・ハネケ監督の「愛、アムール」を駆け込みで観にいった。
去年のカンヌでパルムドールを取った映画。
その前年の「白いリボン」に続き二年連続受賞になった。
なんとなくすぐに感想を書く気になれなかったので、ちょっと間をおいたけど、書いてみる。
結末部分について触れるところもあるので、未見の人は注意。










あまあまな邦題はいただけないが、原題はストレートに「Amour」。
ジャン=ルイ・トランティニャンとエマニュエル・リヴァが老夫婦を演じている。
妻がある日、たぶん脳梗塞か何かを起こして半身不随になる。
右半身が動かなくなるので、たぶん病変は左脳。
それを夫が自宅で介護する。
この介護の日々が冷徹なリアリズムで描かれる。
誇り高い妻は入院を拒む。
夫もそれを受け入れ献身的に看護する。
娘も心配するのだが、夫はあくまで妻の言うことに従う。
障害は進行し、尿失禁、失語と症状が悪化する。
妻は絶望するが、夫は変っていく妻を忍耐強く受け入れていく。
安易な感傷を排した演出、演技は見もので、非常に説得力がある。

で、そこまでは引き込まれて観ていたのだが、最後に夫はある決断をする。
それが僕には唐突に思えて、思わず声を上げてしまった。

たぶん夫は妻の尊厳を守るためにその行動を取ったのだろうと思う。
でも、僕にはちょっと納得できなかった。
言葉がしゃべれなくなっても、おむつをするようになっても、人間の尊厳と言うのはそんなに簡単になくなりはしない。
僕のわずかな個人的な体験からもそう思う。

こういう映画を観て一番だめな態度は、これは避けられない選択だったのだ、とか分かったようなことを言ってしまうことだと思うんだ。
作家は自分を賭けてその選択を描く。
これは作り手として真摯な態度だ。
でもその尻馬に乗って、安易にそれを一つの必然のように見なすことはそれと全く別のことだ。
ハネケだって何か結論めいたことを言うためにこの映画を作ったわけではないだろう。
映画は一つの問題を提起する。
答を提示しているわけではない。
彼はその選択をした。
それを観てどう感じるかは観客に委ねられている。
僕はぶっちゃけ、なにも殺さんでもいいのになあ、と思った。
ラストもちょっと美しすぎるよなあ、とも思った。
それは消化できないまま抱えておいた方がいい、と思う。
安易に分かった気にならないことだ。
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