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エド・ウッド二本立て(その1)

水曜夜はB級ナイト、と決めて、B級映画二本立てで観ることにしているわけだけど、ハリーハウゼン追悼でB級とは言いがたい作品が続いた。
ローレンス・オリヴィエまで出てきたとあっては、とてもB級の名に値しない。
ここは一つバランスをとって、Z級を観よう、と考えた。
そうやってすぐバランスとろうとする辺り、いかにも小市民の発想ですね。
いいもん小市民だから。
しかもZ級、と言っておいて誰でも知ってるエド・ウッド監督作品を出しちゃう辺り、いかにもゆるい。
いいもんゆるいオタクだから。

で、エド・ウッド監督作品二つ観た。
実はティム・バートンの「エド・ウッド」は観てるけど、エド・ウッド本人が監督した作品、初めて観る。
エド・ウッドが脚本を書いた「死霊の盆踊り」は観たけど。
あれもたいがいな映画だったな。

一本目は1955年の作品「怪物の花嫁」。
まず、嵐の夜、怪しげな洋館、稲妻とサスペンスフルな音楽で幕が上がる。
あれ?思ったよりちゃんとしてるぞ?
続く二人の男の説明的な棒読みセリフはなかなかB級ぽいけど、これくらい全然大したことない。
なんだよ、身構えて損したよ。

洋館にたどり着いた二人。
出てくるのはベラ・ルゴシだ。
あの、ベラ・ルゴシだ。
おお、感動するなあ。
入れてくれと頼む二人をにべもなく断るベラ・ルゴシのヴォーノフ博士。
そこに登場する、トー・ジョンソン演じる大男ロボ。
このロボの登場シーン、普通だったらカットを変えて強調するところだが、固定カメラ1カットで、ベラ・ルゴシと二人が言い合っているところに、画面手前から普通にがーって言いながら現れる。
なんというか、すごく無頓着。
この無頓着さがこの後もこの映画の随所随所で現れるのだ。

例えば、だいぶ後のシーンだけど、ヒロインの車が林の中で事故を起こすシーンがある。
ヒロインが車からふらふらと出てくるところがロングで撮られている。
手前の木に何か引っかかっている。
ゴムのヘビみたいだ。
この映画、白黒なのではっきりとは分からないのだが、わりと大きなゴムのヘビである。
ゴムのヘビだよなあ、と思ってみているのだが、ヒロインは気がつかない。
で、カットが変ると急に本物のヘビの映像に変る。
ああ、やっぱりヘビだったんだなあ、と思うんだけど、本物のヘビの映像は他で撮られたものらしく、ヒロインと本物のヘビが同じカットにはいることはない。
ヒロインが悲鳴を上げたところで、またカットがロングになって、ロボが現れてゴムのヘビを放り投げる。
ゴムのヘビはゴムのヘビ以外の何物にも見えない。
少しでも本物に見せようという意欲がまるで感じられない。

この映画の中では一番の見世物であるはずの大ダコに対してもエド・ウッドの演出方針は変らない。
水槽の中にいる普通のタコと作り物の大きなタコが使われるのだけど、普通のタコを大きく見せる工夫も一切されていないし、作り物のタコを本物っぽく見せる工夫も一切されていない。
最初の何回かはタコの足を糸で持ち上げるくらいの事はしているけど、ラストではベラ・ルゴシは動かない作り物のタコ相手に必死の演技をしている。
このこだわりのなさは清々しいほどだ。

ではこの映画が、全然愛のない、気の抜けた映画なのかというとそんなことはないのだ。
カメラも美術もいい仕事をしているし、脚本も部分部分を見るとそれなりに工夫されている。
むしろとても力こぶの入った作品なのだ。
なのに、そこで抜く?というところでびっくりするくらい力を抜く。
そこは抜いちゃ駄目でしょ、という場面に限って抜く。

見所はたくさんある。
なんと言ってもベラ・ルゴシが素晴らしい。
ヴォーノフ博士が催眠術を使うシーンがあるが、そこで「魔人ドラキュラ」でお馴染みの、あのなまめかしい手の動きが見られる。
年を取ってもいささかも神通力を失っていない。
エロい。

そしてトー・ジョンソンのロボ。
一目見たら忘れられないその容姿。
ボリス・カーロフ演じるフランケンシュタイン・モンスターのような哀れみも感じる。

力の入れ所をとことん間違った正統派ホラーSFである。
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