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川添先生のこと

イラスト学科の川添貴先生が3月30日に亡くなった。
ご病気のことも知らなかったので、訃報を聞いてもにわかに信じられなかった。
川添先生は僕より3歳も年下なのだ。

僕がマンガ学部の入試委員長を務めていた時期があるのだが、その頃デザイン学部の入試委員長が川添先生だった。
その頃が一番お会いする機会が多かった。
大学内でも入試委員長会議というのがあって、そこで大学の行く末に関してああだこうだと意見を言い合っていた。

入試委員長は出張も多くて、その頃は毎年のように川添先生と台湾に行っていた。
川添先生は、イラストの先生は普段からセンスのいい、かっこいいところを学生に見せなければならない、という持論を持っていて、服装にもこだわっていた。
パンクなノリの服装が多かった。
ところが、川添先生の初めての台湾出張の時、川添先生一人がスーツだったことがある。
デザインの先輩教授に、やっぱり台湾の高校に行くのだからスーツじゃないと、と言われたらしい。
僕らは何回目かで、僕はジーンズにTシャツに軽く上着をはおったくらいのラフな格好。
他の先生もラフなスタイルだった。
川添先生は、だまされた!と言ってしきりに悔しがっていた。
他の服を持ってきていなかったのだ。
いざ台湾の高校へ行くという時に、ホテルのロビーに現れた川添先生はスーツを思い切り着崩して、ラフでかっこいい川添スタイルにしていた。
さすが、と思って感心した。

川添先生とは出身高校が同じで、京都府立鴨沂高校の3年下だった。
ちなみに、川添先生に、やっぱりスーツじゃないと、と吹き込んだ、坪内前学長も鴨沂出身である。
自由な校風の高校だった。
マンガ家の山本サトシ君がやはり僕の3年下で、川添先生は子どもの頃から知っていたそうだ。
昔から怪獣の絵を描いていた、と言っていた。

教育には熱さが必要、というのも川添先生の持論で、川添先生自身が熱い人だった。
鴨沂の後は精華大学のデザイン学科に進んで、祭の実行委員もしていた。
生粋の精華人なのだ。
祭好きで学生が好きでアートが好きだった。
精華の一番精華らしい先生だった。

僕が入試委員長を辞めてからは会う機会も減っていたが、元気でやっているものと思っていた。
まさかこんなに早くお別れすることになるとは思ってもみなかった。

今日のお通夜には遅れて行った。
多くの教え子たちも来ていた。

今朝は京都精華大学の入学式だった。
新しい学生が川添先生の熱い授業を受けられないのは残念だけど、後に残った僕らが精華の自由で熱い授業を引き継いでいかないといけないのだと改めて思った。
本当に早すぎるし、まだ実感が湧かないのだけど、今はご冥福をお祈りしたい。
川添先生、ありがとう。
そしてさようなら。
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