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よい子のまん個展、あるいは何故性器にモザイクをかけてはいけないか。(その2)

いかに「薄消し」であろうと、そこにモザイクがあれば、その部分は「わいせつなもの」というレッテルが常に張られた状態にある。
マンガの修正も同様だ。
どれほど形骸化した何も隠していないような修正でも、それがあるということは、この部分は「わいせつ」です、といちいち註を付けているようなものなのである。

性器は自然な身体の一部である。
それがエロティックな文脈で語られる場合であっても、性器だけがエロティックなものであるわけではなく、他の身体の部分と組み合わさって性的な意味を持つのである。
まして、特にエロティックな文脈ではない場合でさえ修正が必要である理由は、刑法175条を前提としても皆無であることは明白である。

日活ロマンポルノの時代にはまだ性器を隠す文化というものが支配的であった。
女優も男優も前張りというものをつけて演技した。
撮影現場ですら性器は隠されていたのである。
(今でもピンク映画はそうであるらしい。)
しかし、AVや成年マンガにはそういう隠す文化はもはや存在しない。
修正を加えられた状態でも、性器は結合状態も含めて明示されている。
その性器にいちいち「これはわいせつなものです」というレッテルを貼ることが現在義務づけられているのである。
そのことがそれを享受する人間の身体観を損なうことは容易に想像されよう。
性器だけが「わいせつ」だとする身体観は明らかに歪んだ身体観である。

そもそも大人が大人の性器を見ることに何の問題があるというのだろうか。
あるいは、よしんば未成年が見ることがあるにしてもゾーニングによって未成年の目から遠ざけるべきなのは「性器の正確な形状」ではないだろう。

もっともモザイクなり修正なりがあることでわいせつ感が増す、ということを肯定的に捉える人がいることも事実である。
隠されているからこそエロい、という立場である。
AVや成年マンガの視聴者、読者が必ずしも修正に否定的ではない一因はそこにあるだろう。
修正された性器に「わいせつ」を感じるというのは一種の倒錯である。
倒錯は人間の性的多様性を確保する上で必ずしも否定すべきものではない。
問題は、その倒錯を国家によって強いられている、という現状なのだ。
なにが「わいせつ」かを決めるのはあなたである。
あなたが足の裏が「わいせつ」だと思うなら足の裏が「わいせつ」なのであり、鎖骨が「わいせつ」だと思うなら鎖骨が「わいせつ」なのである。
それは人に決めてもらうものではない。
自分の「わいせつ」くらい自分で決めるべきなのだ。
そして、性器は自然な身体の一部という本来あるべき姿に戻してあげよう。

長々と書いたのは、僕が常日頃思っていることである。
しかしろくでなし子さんが作品を通して訴えているのもまさにそういうことだと思うのである。
そこに僕は共感するし、それを端的に訴えている彼女の作品は、見るものの認識を大らかな笑いとともに改めさせる力を持っている点で優れたアートたり得ていると思うのだ。
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