エイリアン3

毎月勝手にテーマを決めてDVDを観る月極映画祭、7月はエイリアン祭。
3回目はデイヴィッド・フィンチャー監督による1992年公開の「エイリアン3」。
原題は「ALIEN3」だが、「3」が「N」の右肩に小さく乗っていて、「エイリアンの3乗」みたいな感じになっている。

デイヴィッド・フィンチャーはこの映画がデビュー作。
毎回新しい才能に監督を任せるエイリアン・シリーズだが、デイヴィッド・フィンチャーに決まるまで、相当紆余曲折があったようである。
最初ウィリアム・ギブソンが脚本を書くという話になっていて、SFファンの間では色めき立ったものだったが、結局ウィリアム・ギブソンは降りている。
その辺のごたごたについてはウィキペディアでも見てもらうことにして、「エイリアン3」を改めて観る。
ちなみに今回観たのは後に編集され直したディレクターズ・カット版。
ネタバレしてるので、未見の人はご注意を。

劇場公開時にこの映画の冒頭シーンを見てショックを受けた。
2作目で生き残ったニュートやヒックスがいきなり事故で死んでしまうのである。
「エイリアン2」の全否定みたいなもので、何をするのか、と絶句した。
今見てもひどいよね、これは。
その後にニュートを解剖するシーンも出てきて容赦ない。

雰囲気そのものは1作目のリドリー・スコット版に近いけど、デイヴィッド・フィンチャーの後の作品を観てからだと、デイヴィッド・フィンチャーらしさはこの映画でも十分出ている。
この映画の宗教的でありながら背徳的な感じは「セブン」を先取りしていると言える。
原題が「エイリアンの3乗」みたいな表記になっているのは「3」という数字に特別な意味を持たせたかったからではないだろうか。
「3」といえば、ヨゼフ、マリア、幼子イエスの聖家族の数でもある。
これをエイリアン、リプリー、エイリアンの子どもに当てはめてみると、この映画は聖家族の陰画のような映画と言えなくもない。
そう思って観ると。やはり「セブン」のデイヴィッド・フィンチャー監督のデビュー作としてまことにふさわしい映画に思える。
どこまでもペシミスティックなようで、何か聖性のようなものが感じられるラストは感動的でさえある。

デビュー作には、成功作であれ失敗作であれ、その作家の作家性というのが色濃く出るものなのである。
興行的にも批評的にも失敗だったとされるこの映画だけど、デイヴィッド・フィンチャーという監督を世に出した功績は大きい。
僕は個人的にはこの映画が嫌いではない。
男だけの収容所惑星というロケーションとか、リプリーさんの丸刈りとか、日本語がところどころ使われているところとか見るべきところは多い。
味わい深い映画だと思う。

次回は未見の「エイリアン4」
スポンサーサイト
プロフィール

おがわさとし

Author:おがわさとし
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR