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阪神淡路大震災20年

阪神淡路大震災からまる20年経つ。
1995年1月17日をを僕は今はもうない一乗寺のおんぼろアパートで迎えた。
幸い僕自身の被害は皿を一枚割っただけだった。
地震で目が覚めてすぐにつけたテレビは日の出前の真っ暗な神戸の映像を映しているだけで状況がよく分からなかった。
いったん二度寝してから再びテレビをつけると、今度は黒煙を上げる神戸の町や倒壊したビルが次々に映し出されていて、絶句した。
SF映画の映像を見ているようだった。

当時わりとぶらぶらしていた僕は、京都のある映画サークルが避難所の子どものためにアニメ映画上映のボランティアを企画しているのを知って、それに参加した。
誰かの役に立ちたいというより、実際に現場を見てみたいという動機の方が強かった。
倒壊、半倒壊した建物や避難所の生活を目の当たりにして強烈な印象を受けた。
その後、西宮のボランティア組織にも参加し、各地から集まってきているボランティアと知り合ったり、現地でボランティアのコーディネートをしている人たちの活動を身近で見てやはり強い刺激を受けた。
僕が被災地の人たちにしてあげられたことはほどんどないに等しかったが、被災地が僕に与えてくれたものは巨大だった。
ひとことで要約することはとても出来ないが、人生観、世界観の基盤のようなものを与えられたような気がする。
テレビで見ていただけでは分からない何か重いものを手渡された感じがした。
それと同時にある種の高揚感も確かにあったのである。

2011年3月11日に東日本大震災が起きた時に、自身も被災地に行きたいと思い、学生にも行ってほしいと思ったのはその時の体験があったからだ。
学生が被災地に出来ることはたかが知れているだろう。
しかし被災地は学生にかけがえのないものを与えるだろう。
その価値は何十年も経ってから実感されるものかもしれない。

阪神淡路大震災の時は、生きている間にこれ以上の自然災害を目の当たりにすることはないだろうと思った。
しかし東日本大震災は起こった。
この列島に住んでいる以上、巨大地震と無縁になることはなさそうである。
被災地に足を運ぶこと、被災者の言葉に耳を傾けること、それは今目の前で起こっている悲惨を何とかしたいという気持ちから発するものだが、同時に次に起こる災害のためのものでもある。
実際、東日本大震災では阪神淡路大震災でのボランティア経験者も大きな役割を果たしたのである。

僕らが当時ボランティアの端くれとして貴重な体験が出来たのは、ガイドもなにもないところで奔走した多くの無名のボランティア・リーダーがいてくれたからである。
彼らに感謝すると同時に、表現者としての自分には今何が出来るのかを改めて考えたい。
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