FOUJITA

9月に東京国立近代美術館で藤田嗣治の全所蔵作品展示というのを見た。
馴染みのある白い裸婦や猫の絵の他に、戦時中に描かれた戦争画が展示されていた。
その鬼気迫る暗い絵に強い印象を受け、それまでは、変な髪型だなあ、くらいにしか思っていなかった画家藤田嗣治に俄然興味が湧いた。

小栗康平監督がその藤田を題材に映画を撮るというので楽しみにして、二回観にいった。
実は小栗監督は昔いくつかの作品を観ているが特別好きな監督というわけではなかった。
非常に才能のある人なのは分かるが、その生真面目でしかつめらしい感じが若いころの僕にはどうも合わなかった。
しかし今回の映画はすんなり入り込めた。
題材に対する興味もあったし、オダギリジョーの飄々としたキャラクターが小栗監督の生真面目さと程よく調和していた。
ちなみに最初の方に出てくるカフェの名前が「Petit Marron」だった。
「小さな栗」で「小栗」だろう。
そういう洒落っ気のある人と思わなかったのでちょっと驚いた。

映画は前半で藤田嗣治のパリ時代を描き、後半で戦時中の日本での藤田嗣治を描いている。
その間はあえて描かず、まるで二本の違う映画みたいに並べている。
パリ時代の藤田は、外国人画家がたむろするモンパルナスで、お調子者だがしたたかに生きる芸術家として描かれる。
1920年代のパリの雰囲気が丹念に描かれ、その時代の芸術家が多数登場するのも楽しいところだ。
後半で描かれる戦時下の日本は当然1920年代のパリとは真逆と言っていい重苦しい雰囲気だ。
藤田も重苦しい戦争画を描き、決戦美術展では自分の描いた「アッツ島玉砕」の前で軍服を着て敬礼している。
しかし、藤田のどこか淋しげな感じは変わらない。
パリ時代のおかっぱ頭にちょび髭、時には女装もする藤田と、後半支給された軍服を着て疎開先の村を散歩する藤田はどちらもコスプレをしているように見える。
結局藤田はフランスでも日本でも異邦人だったのかもしれない。

この映画には二つの対立軸があるようだ。
一つは当然ながら、西洋(フランス)と日本である。
映画そのものがその二つの対立軸にそって構成されているし、貴婦人と一角獣のタペストリーの絵と喜多川歌麿の浮世絵が対置され、それが藤田の絵の中で融合されていくような構成にもそれは示されている。
フランス時代の女たちと日本での五番目の妻君代の対比もそうだ。

もう一つは近代と近代以前だ。
日本人にとっての西洋と戦争は結局近代の二つの顔だった。
その近代的なものに対して、後半近代以前的なものがクローズアップされる。
その近代以前を象徴するのが、狐であり、ケヤキの古樹であり、おそらく月だ。
実は一回目に観た時にはそこのところがよく分からなかった。
藤田が軍服を着て散歩している時に村の神木であろうケヤキの古樹に出会う。
何か超越的な雰囲気である。
加瀬亮が演じる村の青年が狐の伝承を話すのだが、そこには近代に圧殺された近代以前の魂のようなものが象徴されている。
君代も新しい下駄を下ろすときに、狐に化かされる話をする。
月については、疎開先の村では十三夜を祝う風習があり、君代がきれいな月ねえ、と空を見上げるシーンがある。
しかしカメラは何故かその月を映さない。
藤田も月を見ようとしないのである。
ここでは近代以前のものに対する藤田の無関心が示される。

映画のクライマックスで、藤田は狐に化かされるように、川向うの幽界へ迷い込む。
それまでのリアルな映像と違う幻想的な映像が圧巻である。
日本人形とフランス人形がそこでは仲良く並んでいる。
狐の浮世絵が映され、絵の中の狐火がめらめらと燃え上がり、カメラはその絵の上方にパンしていく。
当然そこで月が映るのだと思った。
しかし、そこでも月は映らず、戦闘機の爆音がかぶさり、水辺の映像になる。
その水の中に藤田の最後の戦争画「サイパン島同胞臣節を全うす」が浮かび上がり、エンディングとなる。

なぜ、水なのか。
前半のパリの酒場のシーンで、若者たちが連想ゲームのようなものをしているところが出てくる。
その中で、若い女が「月」に対して「水」と答えるのである。
やはりこの「水」は「月」なのだ。
そして、月は近代以前の魂であり、狂気の象徴でもあるだろう。
その月の中に、民間人の自決を描いた「サイパン島同胞臣節を全うす」が現れるのである。

しかし、なぜ月を直接映さず、水に置き換えるのか。
それも映画の中で藤田自身がしゃべっている。
藤田は、触れるものにしか興味が無い、と言っているのだ。
水は触れるが月は触れない。

後半の近代以前のものへの言及は小栗監督が元々持っていたテーマであろう。
しかし、単に近代以前の魂が近代に圧殺された、という単純な読みもまた禁物かもしれない。
最後に藤田を化かした狐は3DCGで描かれる。
それが映画の効果としてどうかというと微妙だと思うが、狐をあえて最新テクノロジーである3DCGで描く、ということに意味があったのだろう、という気はする。

何度も繰り返して観るに値する作品だと思う。
映像も素晴らしい。
個人的にはまるでキリコの絵のようなパリの古物市のシーンが好きだ。
小栗監督の他の作品も改めて観てみようかな。
スポンサーサイト
プロフィール

おがわさとし

Author:おがわさとし
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR