シークレット・オブ・モンスター

僕らはいちおう人間なので普段の生活の中では周りと合わせて人間として、あるいは少なくとも人間のふりをして生活している。しかし時にはそれが窮屈になったりそこから逸脱したくなったりすることもある。

人が人間を逸脱する映画をたまたま2本続けて観た。京都みなみ会館で上映中の「シークレット・オブ・モンスター」と「ワイルド わたしの中の獣」である。

「シークレット・オブ・モンスター」は第一次世界大戦終了直後のフランスを舞台に、後に独裁者となるある架空の人物の少年期を描いている。原題はストレートに「THE CHILDHOOD OF A LEADER」。
少年の父は米ウィルソン大統領のもと第一次世界大戦の戦後処理のためにフランスに来ている国務次官補。母親はドイツ人を父に持ち、4ヶ国語を話す才媛。厳格な教育方針のもとに育てられている12歳の美少年プレスコットがこの映画の主人公だ。「ビョルン・アンドレセンを彷彿させる美少年」とパンフにあるがその少女と見紛う美少年ぶりに加え、強烈な自尊心を持った怪物的な子供を見事に演じて強い印象を残す。

物語は3つの章と終章に分けられているが、その3つの章はそれぞれ「第一の癇癪(TANTRUM)」「第二の癇癪」「第三の癇癪」と名付けられている。少年は彼にとって耐え難い状況に感情を迸らせる。普通は子供は癇癪を起こしながらもそこで社会のルールを学び我慢することを覚え大人になっていくものだが、この物語の主人公はそうはならない。女の子に間違えられることやお気に入りの家政婦が解雇されることが我慢ならないというだけではない。少年にとって少年を取り巻く世界そのものが耐え難い。偽善に満ちた大人たちの社会からキリスト教的文明まで、少年は馴染むことなく孤独に世界に対峙し続ける。

この映画の架空の独裁者はヒトラーやムッソリーニやスターリンをモデルにしているだろう。しかしこの映画は独裁者を糾弾する映画ではない。むしろこの孤独な少年に凡人である我々はどこか魅力を感じざるを得ない。何がこの少年を独裁者にしたのかは映画の中ではっきりと描かれるわけではない。しかしこの世界という鋳型に合わない魂があって、そこに人が魅力を感じるとするなら、それが現実の独裁者が支持を集める一つの理由なのかもしれない。

映像も音楽も重厚で素晴らしい。監督のブラディ・コーベットはこれが長編初監督作だそうだ。
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