パンズ・ラビリンス

社会派ミステリーや社会派SFは聞くが、社会派ファンタジーと言う言葉は耳慣れない。
それはたぶん社会派のリアリティーとファンタジーのリアリティーの位相が違うからだと思う。
ファンタジーのリアリティーは心的リアリティーだ。
それが心の中でいかにリアルに体験されるか、ということが問題で、それは物質的リアリティーとは異なるものだ。
その世界では妖精が飛び魔法が行われることはリアルなのだ。
あるいはそれがリアルであるように構築されたものがファンタジーの空間であるとも言える。
それに対し社会派のリアリティーは物質的リアリティーに基礎を置く。
そこでは魔法は存在しない。

「パンズ・ラビリンス」は不思議な映画だ。
スペイン内戦が反乱軍側の勝利に終わり、フランコ独裁政権に対しレジスタンスが抵抗を続けていた時代が舞台。
主人公のオフェリアは一方ではフランコ軍の大尉の義理の娘で、義父からは疎まれている。
母親はもうすぐ男の子を出産する予定だ。
彼女が心を許している女中メルセデスはレジスタンスのスパイである。
その世界のオフェリアは社会派的リアリティーの支配の下にある。
そこでは物質的、肉体的、社会的リアリティーが絶対的な力を持っている。
もう一方で彼女は地下の王国の王女である。
牧神パンが与えた三つの試練を乗り越えれば魔法の国に戻ることが出来る。
こちらの設定を支えているのは心的リアリティーであり、物質的リアリティーはそこでは意味を持たない。

この映画はその二つの世界を並行して描いていく。
どちらに軸足を置くでもなく、交じり合わないはずの二つの物語が進行していく。
この映画の身体的リアリティーは凄まじい。
これだけ観ていて「痛い」映画はあまりない。
監督のギレルモ・デル・トロは特殊メイクアップのディック・スミスの弟子だそうで、その肉体表現は物質的リアリティーに満ちていて、とにかく痛そうだ。
過酷な現実が容赦なく描かれる裏で、主人公はファンタジー的リアリティーの下にあるイニシエーションに立ち向かっていく。

結局この映画は社会派映画なのだろうか、それともファンタジー映画なのだろうか。
僕はファンタジー映画だったのだと思う。
過酷な現実を受け入れつつ、魂のリアリティーを信じる力強さがこの映画の肝だと思う。
監督の他の作品をほとんど観ていないのだが、俄然興味が沸いてきた。
(「ミミック」だけ観てるけど、これにはあんまり感心しなかった記憶あり。)
スポンサーサイト
プロフィール

おがわさとし

Author:おがわさとし
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR